松之山の美人林 -新潟県十日町市-

 新潟県十日町市は日本を代表する豪雪地域である。とくに東頸城丘陵の核心に位置する東頸城郡旧松之山町や旧松代町(いずれも平成17年4月1日に十日町市と合併、残りの東頸城郡の町村は上越市に合併した)は年間総降雪量は約10 m にも達し、例年、積雪量が最深となる3月上旬には4 m にもなる。未・半固結の新第三紀層からなる東頸城丘陵は約400万年前以降の褶曲・隆起運動によって形成され、現在でも背斜軸をなす丘陵の稜線は隆起傾向にあるので、斜面は不安定し、加えて豪雪の融雪期に地下水量が急増することにより、地すべりが多発する。新潟県の地すべり面積は日本の約20 %を占め、とくに東頸城丘陵における地すべり密度は高く、おそらく世界一であろうと推測される。

 美人林は松之山・松口集落の標高330 m の丘陵に広がるブナの原生林である。松之山にはかってブナが広範囲に生育していたが、昭和初期に薪炭材としてほとんど伐採されてしまい、その跡からブナが成長をはじめたという。したがって、樹齢は約80年の若木であり、幹周りは1 mを超えるものはないが、他の樹種がほとんどない純林である。ブナ林の美しいのは、根元に残雪も見られる5月上旬ころであり、ブナ特有の若葉が異常に白い樹幹とマッチしている。このブナ林の樹幹はなぜ白いのであろうか、疑問である。美人林という名称は、ブナの立ち姿があまりに美しいところからいつの間にか付けられ、現在はその名称もあって多くの人が訪れる観光スポットとなっている。
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 松之山は東頸城丘陵の最南東端に位置しており、日本三大薬湯のひとつとされる松山温泉もあり、地すべり地形につくられた棚田がいたるところに見られ、典型的な農山村の原風景が豊に残されている。豪雪地域特有の生活様式・慣習が残り、歴史・民俗資料も多く魅力に富んでいるが、就業機会がないので若年層の人口流出に歯止めがかからず、過去40年間の人口減少率は65%にも及ぶ。

新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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# by meiboku | 2009-09-25 13:09 | 松之山の美人林  

熊野神社のシナノキ -長野県軽井沢町-

 長野県北佐久郡軽井沢町は避暑地としてあまりにも有名である。軽井沢は浅間山の南東麓に位置し、標高約1,000 m、夏でも平均気温20℃、朝晩と昼間の温度差の大きな気候、カラマツやシラカバの林に恵まれ、イギリス人宣教師 A.C.ショ-が、1888(明治21)年に初めて別荘を建てたことにはじまる。これ以降、旧軽井沢を中心に外国人の宣教師、外交官、貿易商、日本の政財界人、文化人などの別荘が相次いで建てられ、明治中期には万平ホテル、三笠ホテルが開館した。大正期に入ると、旧軽井沢周辺の野沢原、千が滝などに大手資本によって分譲別荘地が開発され、避暑地としての地位を確立した。

 古代には東山道の長倉駅が置かれ、江戸時代には中山道と北国街道の分岐点としての追分と、沓掛、軽井沢が中山道の浅間三宿として賑わいを見せた。上野(群馬県)の坂本宿(標高470 m)から信濃(長野県)の軽井沢宿(標高970 m)へ達するには、急峻な山道を登り、峠(標高1,140 m)を越える中山道で最大の難路であった。碓氷峠(標高958 m)は、2.5万分の1地形図によれば、国道18号とかつての信越本線が通過していたところを指しており、中山道の峠(旧碓氷峠とよんで区別している)とは異なっている。

 峠には熊野皇大神社建てられ、拝殿の中心が上野と信濃の境界に当たっている。神社の御神木として明治時代までシナノキの巨樹が数本あったが、現在は1本だけ残り、「峠のシナノキ」とも呼ばれている。樹髙12 m、幹周り5.7 m、推定樹齢 850 年、長野県指定の天然記念物である。主幹は根元から3~4 mのところで欠損し、そこから数本の若い枝が伸びているに過ぎず、必ずしも樹勢が旺盛とはいえない。峠には数軒の茶屋があり、境界に立つ「元祖 しげのや」は家屋が長野県と群馬県にまたがり、名刺には住所表記が長野県北佐久郡軽井沢町碓氷峠2 と群馬県安中市松井田町碓氷峠3 とある。なお、峠から約250 m南の見晴台からは南画的な裏妙義山・妙義山などの上州の山々、浅間山のすばらしい景観を楽しめる。私はこの展望台を何回か訪れているが、2003年11月18日は天候に恵まれたこともあり、日本各地の自然景観に比べてとくにすばらしいことに驚き、感動した。
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新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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# by meiboku | 2009-08-20 10:24 | 熊野神社のシナノキ  

大智寺の大ヒノキ -岐阜市北野-

 岐阜市は清流、長良川の両岸に位置し、戦国大名にのしあがった斎藤道三が金華山に城郭を築き、織田信長が井の口から岐阜と改め、楽市・楽座を開くなど城下町として発展した。岐阜市は自然と歴史が調和した美しい街なみを展開させ、現在、人口約41万を数える、岐阜県の県庁所在地である。

 岐阜市の北端、鵜飼いで知られた長良川の少し上流で流入する武儀川をほんのわずかさかのぼった、山県市に近い美濃山地の南麓、山県北野に大智寺がある。大智寺の参道を歩き、中門をくぐると中庭に普通のヒノキとは少し変わった大ヒノキが堂々と立っている。このヒノキの幹は時計回りにねじれているが、何故であろうか。根元に立つ看板によれば、この木はかって落雷にあって幹に裂け目ができ、そのあとの幹の異常な発育によってねじれが生じたとされている。そのために幹の内部には空洞ができ、枝の先端の一部は枯死している。樹髙30 m、幹周り6.6 m、推定樹齢700 年、県指定天然記念物、県第2位の大ヒノキとのことである。
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大智寺は、1500(明応9)に玉浦宗眠(ぎよくほそうみん)が開山した臨済宗妙心寺派の古刹である。なお、宗眠が亡くなったときに、このヒノキは悲しみのために枯れかかったが、檀家の人々が大般若経を一心に唱えたところ、生き返ったと伝えられている。大智寺は江戸時代には18石8斗の御朱印を受け、葵の紋の許可を受けているので、現在も屋根瓦にそれが残る格式高い寺である。近年は、本堂の古瓦が土と一緒に積まれた瓦土塀(信長塀と呼ばれているらしい)も注目されている。なお、江戸時代の俳人、蕉門十哲(芭蕉の高弟)の一人、美濃派開祖の各務支考はこの地で生まれ、6~19歳までこの寺で小僧として修行し、後年寺の一隅、「獅子庵」を終の棲家としたと言われる。大智寺は山を背にした広い境内であるが、清められた庭、苔をめぐらせるなどの手入れがいきとどいており、清々しい気持ちにさせられる。

新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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# by meiboku | 2009-07-23 14:48 | 大智寺の大ヒノキ  

小原のヒダリマキガヤ -宮城県白石市-

 自動車で新潟市から仙台市まで行くにはいくつかのル-トがあるが、山形県高畠町から白石市への七ケ宿街道(国道113号)は適度なカ-ブが続き、昔の宿場跡を各所に残す風情もあるので、私は好んで利用している。白石川に造られた七ケ宿湖を過ぎると、ロックフィルの堰堤から下流側は深い渓谷となり、左岸の谷壁には国指定天然記念物材木岩、さらに下流の右岸には古くからの小原温泉がある。材木岩は、高さ100 m、中心部の幅が約200 m の断崖で、その名称のように巨大な角材を立てかけたように岩石が規則的に割れた、柱状節理となっていることで知られる。岩質は帯緑灰色の流紋岩で、柱状節理は、一般に六角柱のものが多いが、ここでは四角柱が多く見られるのが珍しいとされる。材木岩の対岸は、国指定天然記念物のヨコグラノキ北限地帯である。ここでのヨコグラノキは急傾斜の岩屑地に10数本生育しているに過ぎない。ヨコグラノキはクロウメモドキ科クマヤナギ属の直立する小高木で、牧野富太郎博士によって高知県横倉山で発見されたことに由来する。

 これらの地域のすぐそばの白石川右岸の下戸沢地区の小学校旧分校跡に、一本のヒダリマキガヤが寂しそうに立っている。カヤの成長速度は遅いので樹髙19 m 、幹周り2.4 mに過ぎず、推定樹齢250 年とのことであるが、傍に看板などが立っていないと気がつかないかもしれない。この木はカヤの変種(雌株)で、実が大きくて幹が左にねじれているのが特徴で、国指定天然記念物となっている。なお、この木は一時樹勢が衰えたので、枯れ枝を伐採などの対策をしたところ、少し元気になったとのことであるが、下戸沢も大きな集落ではなく、分校も亡くなってしまったところに、人知れず生育するヒダリマキガヤには一抹の哀愁を感じる。白石川沿いには、歴史のある小原温泉、材木岩もあるので、それらの探訪の際には、このヒダリマキガヤにも足をのばして元気づけて欲しいと思う。
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新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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# by meiboku | 2009-06-19 14:57 | 小原のヒダリマキガヤ  

来宮神社の大クス-静岡県熱海市-

 静岡県熱海市は日本でもっともよく知られた温泉観光都市である。熱海の語源は「あつうみ」の意味で、湧出した温泉で海水が熱くなったという伝承に由来する。『湯前(ゆぜん)神社縁起』や『走湯山(そうとうさん)縁起』などによれば、すでに奈良・平安時代には温泉が湧き出ていたと言われる。伊豆半島東部には南から宇佐美火山、多賀火山、湯河原火山とほぼ直線状に並び、その北端に箱根火山が位置している。火山活動は今から約70万年前に宇佐美火山からはじまって、活動の中心は北に移り、最後にもっとも大きな箱根火山が活動したと言われている。熱海温泉は湯河原火山の南部に位置している。熱海市街地は広義の湯河原火山が構成する山地斜面とそこから流れ出す初川、糸川と和田川沿いの狭い谷底に広がっている。したがって、JR熱海駅から海岸に達するにはかなりの急坂を降りなくてはならない。

 JR来宮駅から糸川沿いに北へ少し向かうと、狭い谷底に建てられた来宮神社に達する。その神社本殿の裏手に当たる、糸川寄りに大クスが立っている。太い根は盛り上がって波打っており、樹木というよりは巨大な岩のようにさえ見える。樹髙25 m、幹周り23.9 m、推定樹齢2,000年、国指定天然記念物である。主幹は根元から2本に分かれ、北側の幹は幹周りが約13 mで、地上数 mのところから何本かの枝に分けて勢いよく成長を続けている。南側の幹は幹周り8.5 m であるが、1974年の台風によって残念ながら地上から約5 mのところで倒れてしまい、現在はトタン板で覆われている。
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 言い伝えによれば、昔、ある漁師の網に神像のように見える大きな根株がかかり、浜の松の根元に安置したところ、その漁師の夢枕に神様が現れ、「西方の山地にクスの大木があるから、その地に祠を建て、根株を祀れば、この地方は永く栄えるであろう」と告げたという。そこで、漁師は根株を「木宮」と名付けて祀ったと言われ、これが来宮神社の発祥とされている。なお、来宮神社の大クスを一周すると、寿命が1年延びるという言い伝えがあるとのことである。この大クスは、鹿児島県の蒲生の大クス、佐賀県の武雄の大クスとともに日本三大クスに挙げられている。

  新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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# by meiboku | 2009-05-20 09:43 | 来宮神社の大クス  

山高神代桜 -山梨県北杜市-

 山梨県北杜市は、県北部の明野村、須玉町、高根町、長坂町、大泉村、白州町、武川村が2004年11月に合併して成立、さらに2006年3月に小淵沢町と合併した。市の名称は、杜が山野に自生するバラ科の果樹「やまなし」と「森」を意味するので、「北杜」は山梨県北部に位置することに由来する。市域は、赤石山脈駒ヶ岳(2,966 m)の東麓の釜無川および支流沿いの地形と八ヶ岳火山の火山麓扇状地および岩屑なだれからなる地形に展開する。駒ヶ岳東麓には駒ヶ岳と鳳凰山の地蔵ヶ岳(2764 m)から流れ出す大武川が造りあげた河成段丘が数段見られ、それらは後期更新世(約12.5万年前~約1万年前)の気候変化(寒冷期)と関わって形成された段丘地形であることが分かっている。

 北杜市には数多くの名木が残されているが、今回は福島県滝桜、岐阜県淡墨桜とともに日本の三大桜と言われる山高神代桜を紹介したい。山高神代桜は旧武川村山高の段丘面、実相寺境内に位置し、樹種はエドヒガン、樹髙9 m、幹周り10.6 m 、国指定の天然記念物で、推定樹齢は日本の桜としては最古(?)の約2000年とされている。ところが、主幹の傷みがひどいので、1993~95年に地上から約3 m 付近で切断、治療が施され、その上に小さな屋根が造られた。現在、脇枝が元気な花を咲かせており、境内に植えられた多くの桜の開花時には人々の眼を楽しませてくれる。
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 北杜市は駒ヶ岳から流れ出す尾白川の渓谷、八ヶ岳南麓高原湧水群が日本名水百選に選ばれているように、数多くの湧水に恵まれた名水の里でもある。サントリ-の白州蒸溜所が、旧白州町に立地したのもうなずける。このほか、かつては清里高原が若者の人気スポットであったが、赤石山脈、八ヶ岳、秩父山地の登山基地として、JR日野春駅近くには国蝶オオムラサキの飼育で知られたオオムラサキセンタ-もある。県立フラワ-センタ-の位置する茅ケ岳西斜面の旧明野村は日照時間日本一と言われ、そこから駒ヶ岳の屹立する風景は息をのむほどの迫力がある。因みに、茅ケ岳は『日本百名山』の著者深田久彌が登山中に急逝した山で、その地に小さな記念碑、登山口には深田記念公園造られている。

 新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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# by meiboku | 2009-04-20 14:51 | 山高神代桜  

中之条のサイカチ -群馬県中之条町-

 今冬は記録的な暖冬であったと言われ、サクラの開花も例年より約10日早く始まったという。3月になって、新潟でもどんよりした空から青空へと変わり、季節の推移を実感できるようになる。

 群馬県中之条町は渋川市で利根川に合流する吾妻川沿いに展開する段丘の町である。段丘地形という地形的制約もあり、国道をはじめとする道路、JR吾妻線などが狭い吾妻川沿いに限定されるので、中心市街地は何となく安定感に欠けるように思われる。
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 サイカチの巨木は、JR吾妻線の市城駅から徒歩2分、交通量の多い国道353号沿いの人家(狩野利喜雄氏)脇の狭いところに立っている。主幹に空洞はみられるが、樹勢は旺盛で地上から 3 m 付近で二股に分かれ、堂々とした姿を誇っている。国道が屈曲しているうえに、交通量が多いのでゆっくり観賞することはできないのが残念である。樹髙14 m、幹周り5.4 m、推定樹齢500年以上とされ、傍の説明板によれば日本一と書かれている。木の立っているところは、吾妻川の現河床からかなり高さがあるが、1742(寬保2)年に発生した吾妻川の大水害で根元を濁流で洗われたという。ところが、見事に立ち直り、それ以降、狩野家の鬼門除けの木になっている。この木は、中之条かるたに「風雪に耐えてサイカチ日本一」と詠われている。
 なお、サイカチの果実はサポニンを多く含むところから、昔は馬の体を洗うのによく使われたと言われる。平安中期の延喜式によれば、この付近は馬の産地として知られ、朝廷の牧場が存在したと伝えられているので、このサイカチはそれらの子孫であろうか。

 吾妻川は草津白根山東斜面から流れ出す強酸性の白砂川が長野原町で流入するため、それより下流では魚類も生息できない死の河川で、河原の石ころも茶褐色となっていた。ところが、上流に中和工場と石灰沈殿用の品木ダム(1965年)が造られてから、河川は生き返った。渋川市から中之条町、長野原町を経て、草津温泉や鳥居峠への道路は屈曲しているが、吾妻峡付近は渓谷の美しさだけでなく新緑、紅葉もすばらしい。

 新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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# by meiboku | 2009-03-18 16:53 | 中之条サイカチ  

言問(こととい)の松 -北海道豊富町-

 北海道北部は本州に比べれば、当然のことながら高緯度に位置しているために厳しい気候である。たとえば、日本列島北端の稚内、中部の東京、南西端の那覇(沖縄県)の気温を比べてみると、年平均気温で稚内と東京で約9℃、東京と那覇で約7℃の違いがある。この違いは、津軽海峡と大隅諸島・吐噶喇(とから)列島間付近が大きな境界に当たっており、気候学的に、前者は熱帯気団の北上限界(夏のロスビ-・ハドレ-境界)、後者は寒帯気団の南下限界(冬のロスビ-・ハドレ-境界)とほぼ対応していると考えられている(中村ほか、1996)。夏の北海道が概して快適な気候であることは、これによって説明できる。

 北海道北端にはサロベツ原野と呼ばれる、国内有数の湿原が広がっており、利尻礼文サロベツ国立公園に指定されている。広々としたサロベツ原野から眺める雄々しい利尻山(1,721 m)は、北海道を代表する景観である。
 サロベツ原野の北端に、かつてのサロベツ湾が陸封された兜沼(かぶとぬま)がある。兜沼の西側の阿沙流(あちやる)台地の東向き斜面に「言問の松」が立っているが、松ではなくイチイ(オンコ)である。推定樹齢1,200年とされ、名称は、長い間、この付近を見守ってきたことから、尋ねれば何でも教えてくれると信じられ、「言問」と命名されたという。イチイの成長速度は遅いので樹髙14 m、幹周り 4 m であるが、樹形は、片側だけに枝が伸び、それと反対方向にはほとんど枝が見られず、一風変わっている。このような木を、植物地理学では、偏形樹とよんでいる。偏形樹は年間卓越風、あるいは春~秋の成長期の卓越風によって、風上側への枝の生長が阻害され、逆に風下側へ成長することによってつくられるとされる。したがって、気象資料がないところ、あるいは高い山地などでの年間卓越風の風向、あるいは偏形の程度によって風力などは推定できる。この「言問の松」の偏形から推定できる卓越風向は南風であり、実際に防風ネットは南側にのみ作られている。なお。この木を切り倒そうとすると、病気になったり、怪我をすることから、この地域を守り神として尊崇されてきたという。
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 未知の地域で、樹木の種類、偏形樹、屋敷森の分布、屋根の形態・家屋構造などの気候景観を手がかりとして、多くのことを推定することも楽しいのではないだろうか。

 新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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# by meiboku | 2009-02-19 13:15 | 言問(こととい)の松  

善養寺の影向(ようごう)の松 -東京都江戸川区-

 東京都23区は台地と低地からなり、著しく市街化が進んでいるにもかかわらず大切に保護された名木が各地に残されている。JR総武線小岩駅から繁華街を通り抜け、東南方向に約15分歩くと、江戸川の右岸堤防沿いに位置する善養寺(浄土真宗本願寺派)に達する
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 南西側の参道を歩いて山門をくぐると、本堂の前に堂々としたクロマツが枝を広げており、まずその大きさに度肝を抜かれる。推定樹齢 600年、樹髙 8 m、幹周り 4.5 m、地上2 m の高さで四方八方に枝をのばし、東西 30 m、南北28 m、繁茂面積 800 m2 にも及ぶ。下枝は切り払われているので、太い枝の下を歩くことができる。なお、名称の「影向」とは、国語辞典で調べると、仏語で神仏が仮の姿をとって、この世に現れることを言うとのことである。この松は、香川県志度町真覚寺の「岡野松」と名松日本一の座を争ってきたが、立行司木村庄之助の裁きのよって、双方「日本一の名松」とされ、引き分けとなった。影向の松は、小岩出身で、善養寺と縁のある第44代横綱栃錦(春日野親方、元日本相撲協会理事長)から東の横綱松に推挙されている。ところが、1992年に西の横綱松に推挙されていた「岡野松」は枯死してしまい、現在は枯死前に芽のついた枝が、農水省林木育種センタ-によって接ぎ木されてよみがえり、苗木5本が里帰りしているという。

境内には、栃錦像、横綱山、小岩不動尊があり、さらに西門の外側の一隅には天明3(1783)年の浅間山噴火の遭難者記念碑も建てられている。記念碑からは、浅間山の大噴火の後、江戸川の中州に流れ着いた多くの遺体を手厚く葬り、その13回忌に建てた供養碑であることが読み取られる。噴火によって、江戸川の水位が上昇、水は泥のようになり、根の付いた樹木、人家の材木・建具などの破片、人間・馬などの死骸などが切れ切れになって流れてきたという。これは浅間山は江戸からずいぶん離れているにもかかわらず、当時としては未曾有の大惨事であったことを物語っている。

 全国の名木を訪ねてみると、名木を大切に守ろうとする人々のやさしさが伝わり、また名木周辺で思わぬ発見もあり、それなりに楽しい。

 新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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# by meiboku | 2009-01-21 09:38 | 善養寺の影向(ようごう)の松  

薬照寺の大カツラ ~南魚沼市~

 新潟県南部に位置する六日町盆地は、日本有数の豪雪地域の一つである。信濃川の一大支流、魚野川沿いに広がる六日町盆地は、越後山脈と魚沼丘陵に挟まれた北北東-南南西方向に細長く続く低地である。盆地底からわずか約 10 kmのところに標高1800~2,000 mの 越後山脈がそびえており、松本盆地から飛騨山脈を眺めるよりも距離が近いので、その存在感は圧倒的である。

 南魚沼市君沢は魚沼丘陵と盆地の境界に位置する集落である。その集落からおよそ40段(高さ約8~10 m)の急な石段を登った平坦な地形には、真言宗薬照寺・庫裏などが建ち、本堂の背後には、JR上越本線が走っている。本堂前にカツラの大木(雄株)が立っており、樹髙33 m、幹周り13.5 m 、枝張り東西15 m、南北25 m、県指定天然記念物である。この薬照寺は安永9(1780)年に火災に遭い、本堂を全焼、その際、カツラの大木も少し被害を受けたと言う。そこでカツラの主幹を伐採して、本堂再建の材木として用いた。主幹からとれた板は、厚さ4.5 cm、幅2.1 m、長さ18.4 m で、本堂の縁側に使用されたと伝えられている。現在の幹は、火災の後に芽生えしたものが大きく成長したもので、昔の主幹を守るように株立ちになっている。このように、火災に遭っているにも関わらず、1991年の環境庁調査によればカツラとしては全国第4位の巨木である。主幹を伐採しなければもっと大木になったであろうと考えると残念である。地元では、このカツラの葉が完全に散ると、雪が降って本格的な冬が到来すると言われる。2008年はカツラの葉も散って12月中旬だというのに、盆地にはまだ全く積雪がない。

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 薬照寺本堂に達する石段は、魚沼丘陵と六日町盆地を境する、六日町断層(石打断層とも言われる)の活動によって変位した地形に造られている。薬照寺本堂が位置する平坦面は約1~0.5 万年に魚野川が形成した段丘面と考えられているので、それ以降に活動(大地震)して約8~10 m の変位を生じたというのは、かなり活動度が高いことになる(金、2001)。2004年の新潟県中越地震は、この六日町断層の北部が活動したという考えが有力である。薬照寺前庭からの八海山、巻機山、金城山の眺めはすばらしい。

 新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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# by meiboku | 2008-12-17 09:05 | 薬照寺の大カツラ