井頭(いがしら)のヤナギ -東京都練馬区-

 久しぶりに西武池袋線に乗り、保谷駅で下車した。駅前は相変わらず車寄せもないほど狭かったが、駅から少し離れると、所々に畑地や武蔵野を代表するケヤキの大木も何本か残っている。保谷駅から地図を頼りに歩くことおよそ15分で、大泉井頭公園に達する。中央線吉祥寺駅南の井の頭公園のほうがよく知られているので、それと区別する意味で大泉井頭公園と呼ばれている。両者とも今から約10万年前ころに多摩川によって形成された武蔵野台地から水が湧出する泉(井、井戸)の頭(源流)に起因することで共通しており、大泉を付けるとそれは重複していることになる。地表流のない広い台地では、生活用水をどのようにして得るかが最重要課題であるので、このような湧水地付近から開発されたと考えられる。武蔵野台地から流れ出す小さな河川の源流には、善福寺池、井の頭池、延宝寺池・石神井池などがあり、いずれも武蔵野台地の標高50 m付近で傾斜が緩やかになる地点から湧出すると考えられている。

 大泉井頭公園は北東へ流れる白子川(荒川の支流)の源流に位置する小さな池の周辺に造られた公園である。この付近は、白子川源流であるので武蔵野台地よりも数 m低くなった程度であるが、池・河川沿いは公園として整備されており、水辺を好む植物が多く見られる。池の北側にマルバヤナギ(アカメヤナギの別名)の大木が2本、ずいぶん曲がりくねって立っている。両者は甲乙つけがたく、樹髙は6.2 m、幹周り5.3 m、樹齢は不明、練馬区指定天然記念物とのことである。樹髙は曲がっているためにそれほど大きくはないが、ヤナギの生長速度やその屈曲状態から樹齢を感じさせてくれる。池には大きな錦鯉も泳ぎ、白子川の流れもきれいである。武蔵野台地から流れ出す小さな水辺の環境をいつまでも残したいものである。

新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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# by meiboku | 2010-07-23 11:36 | 高瀬の大ケヤキ  

竹鼻別院の藤 -岐阜県羽島市-

 岐阜県南端に位置する羽島市は、木曽川と長良川に挟まれた桑原輪中に位置している。本地域は標高5~6 m であり、現在からおよそ4,300年前頃に長良川からの土砂によって陸域になったと考えられている。羽島市の中心市街地は名鉄竹鼻線の羽島市役所前駅付近の竹鼻町であり、昔ながらの風情を残す町並みが広がっている。竹鼻町は長良川による自然堤防に位置しており、南北に続く狭い道路沿いに古くからの家々がぎっしり並んでいる。

 羽島市役所前駅から商店街を北に約 5 分歩くと、東本願寺竹鼻別院に達する。この地に草庵が建てられたのは、嘉禎元(1235)年に親鸞が住民に説法した後と言われ、文明2(1470)年に蓮如が草庵を再興、現在地に移転したのは宝暦10(1760)年とのことである。その後、明治19(1886)年に竹鼻別院と改称、明治24(1891)年に発生した M8.0の濃尾地震によって本堂は倒壊、現在の建物は、大正11(1922)年に再建された。この町並みは、おそらくこの別院とともに発展した門前町と推定される。

 藤は、立派な山門を入ってすぐ左手、本堂前に大きな薄紫の花房を垂らした藤棚が作られている。樹髙 2.4 m、幹周り 2.3 m、その広がりは東西33 m、南北 15 m、推定樹齢 300 年とされている。この藤は1980年代半ばに樹勢に衰えがみられた。そこで地元の有志が集まって、1985年から樹勢回復作業や管理を行い、翌年には「竹鼻別院の藤を守る会」を設立していろいろな手入れをしてきた。そして、1990 年に第一回藤祭りをを開催、以後、毎年 4月下旬~5月上旬に藤祭りを開いている。私が訪れた2010年 4 月25 日は、藤が開花したばかりで、花房の先端がわずかに開花したにすぎなかったが、日曜日で好天に恵まれたこともあり、藤棚周辺には屋台もたくさん作られ、多くの人々が観賞していた。 ところで、全国を回り、およそ12万体の仏像を創った江戸時代初期の僧円空の生誕地は、竹鼻町の南に位置する上中町中付近と言われる。未知の土地を訪れると、思わぬ発見がある。これが旅のおもしろさであろうか。

新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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# by meiboku | 2010-06-22 15:22 | 竹鼻別院の藤  

開拓記念木 -北海道剣淵町-

 北海道は本州よりも緯度が高いので、温暖な地方とは異なる樹木が見られる。さらに、温暖な気候に比べると、北海道の樹木の種類は多くはなく、限定される傾向にあることは言うまでもない。北海道のほぼ中央に位置する上川支庁は、塩狩峠を境界として、南部の旭川盆地(石狩川流域)と北部の名寄盆地(天塩川流域)とに大きく分けられる。剣淵町は名寄盆地の最南端の和寒町と士別市との中間に位置する、北海道らしい整然とした町割りがされた土地が広がる町である。天塩川の上流に当たる剣淵川が東部を北流し、市街地は川の西側に展開している。剣淵町は人口3,691(2009.12.31)、剣淵駅から北西約500 mの四つ角近くの妙見寺の傍に、この開拓記念木は立っている。交差点とは言っても、人通りも少ないので、道路脇に駐車してゆっくり観察することができる。

 開拓記念木の愛称をもって親しまれている木の樹種は、ヤチダモ(モクセイ科トネリコ属)である。樹髙22 m 、幹周り4.3 m、推定樹齢640 年、町指定の天然記念物である。愛称の由来は、明治時代はじめに屯田兵が入植したとには、すでに巨木であったことから集合の目印として盛んに利用され、この木の下で隊長の訓辞を受けることが多かったからだと伝えられる。ヤチダモは北海道に自生しているが、成長が遅いので、このような大木は珍しいとされる。この木は「北海道の名木100選」にも入り、ヤチダモは町の木に指定されている。なお、ヤチダモは弾力性に富んでいるので、野球のバットやかつてはスキ-板などに利用されていた。

 剣淵町は、2006年9月に、絵本の里として国道40号沿いに道の駅に併設するように絵本の図書室と美術館を併設、「親子が触れ合える」施設や剣淵町資料館を売り物にしているが、人口が少ない地域であるだけに利用状況はどうであろうか。

新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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# by meiboku | 2010-05-20 10:06 | 開拓記念木  

久保桜など -山形県長井市-

 山形県長井市は静かな地方都市(人口約3万、2010年)であるが、桜、白ツツジ、あやめなどで知られた花の町である。南陽市、長井市、白鷹町に散在する桜の名所 5 か所、名木11本は、「置賜(おきたま)さくら回廊」(1994年、山形県が「愛称百選」を募集して決定、置賜は地方名)と呼ばれている。市街地西部の葉山(1,237 m)山麓に、北から薬師桜(樹髙 10 m、幹周り8.2 m、推定樹齢1,200 年、県指定天然記念物)、釜の越桜(樹髙20 m、幹周り6 m、推定樹齢 800 年、県指定天然記念物)、白兎のシダレ桜、草岡の大明神桜(樹髙17.2 m、幹周り10.9 m、推定樹齢 1,200 年、市指定天然記念物)などが散在し、それに久保桜を加えると、まさに「さくら回廊」にふさわしい。

 久保桜は、長井市街地から少し東に離れた伊佐沢集落の小学校の校庭横に立っている。校庭横に植えられたそのほかの桜も立派な大木であるが、やはり久保桜の存在は圧倒的である。桜周囲には木組みの歩道が整備されているので、それによって一周できる。樹種はエドヒガン、樹髙16 m、幹周り 9 m、推定樹齢1,200年、国指定天然記念物である。主幹の内部はほとんど空洞に近い状態になっているが、大きく広がった枝は支柱に支えられてはいるものの、地元住民の賢明な努力によって、それなりに多くの花を咲かせている。なお、桜の全盛期の天保年間(1830~1844)には「四反桜」と呼ばれるほどで、その枝張りは4反歩(およそ 40 a)に及んだと伝えられている。この桜も桜の開花時には、出店もつくられ、全国からの観光客が集まり、周辺に用意された何か所かの臨時駐車場も一杯となる。なお、長井市に散在する桜の名木は、白兎のシダレ桜を除いて、いずれもエドヒガンである。

 長井市は、4月下旬の桜にはじまり、5月中・下旬の白つつじ(市街地中心の白つつじ公園に約3,000 株)、6月下旬のあやめ(あやめ公園は、2020年で開園100周年の歴史をもつ、約500種、100万本)などで人気が高い。

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新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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# by meiboku | 2010-04-21 11:42 | 久保桜  

冠稲荷のボケ -群馬県太田市-

 群馬県太田市(旧新田町)は戦国時代の武将新田義貞が生まれ育った町として知られており、太田駅前には義貞の銅像が立つなど市内には新田氏ゆかりの史跡が数多く残されている。冠稲荷神社も、新田氏の祖と言われる源 義国の創建と伝えられる。1174(承安4)年には、源 義経が京都の伏見稲荷の分霊を勧請奉祀したという。この神社は、伏見・豊川・信田・王子・嬬恋・田沼とともに日本七社に数えられる。駐車場に自動車をおいて、大きな赤い鳥居をくぐり本殿の前に達すると、半球状の樹形をした巨大なボケが目に飛び込んでくる。樹高は3.5 m、根周り 3 mであるが、500本ともいわれる支幹や枝が集まり、枝張りは9 m四方に及び堂々たるものである。3月はじめから咲き始め、4月上旬にはその見ごろを迎えるとのこと、ボケが巨木となることは少ないので、県指定の天然記念物としては珍しい存在といえる。

 このボケが有名になったのは、子宝祈願をしていた夫婦が、老人の勧めでボケの実を食べたところ、子どもを授かったという言い伝えが残されていることによる。それによって、現在でもこの神社は縁結び、子宝、安産、子育て、不老長寿などの信仰対象になっている。広い境内には、これらの信仰に関わる絵馬、幟が掲げられている。なお、本殿の前には、義経が心身を清めた御神小井戸や新田義貞が植えたとされる大きなキンモクセイもある。由緒ある神社の周辺は、花と緑の安らぎの宮の森として総合結婚式場(ティアラグリ-ンパレス)や土産品店も集まる観光スポットとなっている。
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新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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# by meiboku | 2010-03-29 15:10 | 冠稲荷のボケ  

洞杉群(どうすぎぐん) -富山県魚津市-

 富山県には立山杉で代表されるように、各地に杉の巨木が残されている。前月に続いて、杉を紹介することにしたのは、一般に、杉と言えば直立した、堂々としたものをイメ-ジするのに対して、今回の杉は樹形に大きな特徴があるからである。

 魚津市北部で日本海に流入する片貝川を上流に向かって自動車を走らせると、最後の集落・東蔵を過ぎるころから幅の狭い渓谷となる。南又谷の清流沿いの幅の狭い林道に注意しながら進むと、「洞杉巨木群」の案内板が建ち、猫又谷と土倉谷の合流点付近に架かる橋の手前で車を止める。橋のすぐ先に、奇妙な形をした杉の巨木と造られたばかりの遊歩道入口がある。「洞杉」とは、片貝川上流標高500~700 mのところにに自生する杉の通称で、幹の内部が腐り、空洞になったものが多いことから呼ばれるようになったと言われる。洞杉の存在が知られるようになったのは、1989年に片貝川上流における発電所建設に際して調査がなされてからである。近年、マスコミにその存在が知られるようになり、関心を集めるようになった。筆者も2年前に、朝日新聞日曜版に掲載された記事と写真などで、その樹形のおもしろさを知った。

 遊歩道に入ると、崩落した岩塊からなる傾斜地に曲がりくねった杉の巨木が生育しており、決して同じ樹形のもは見られないほど、それぞれが個性的である。根元に大きな岩を抱いたものや、地上2~3 m のところで幹が分かれたものなど、自然が造りあげたおもしろさに驚かされる。最大のものは、株立ち(幹4本)の幹周り合計30.18 m、その4本のうちもっとも太い主幹の周囲は12.05 m(2004年6月計測)、推定樹齢約500年である。岩塊からなる傾斜地であるために、表層土壌はほとんど発達しておらず、岩の間に根を伸ばしており、驚くような太さをもった木ではないが、厳しい自然と闘っているようすに生命力を感じることができる。遊歩道は約300 m、ゆっくり観察しながら歩いても約20分、何となく圧倒されて林道に戻る。洞杉がこのような形態となったのは、何と言っても、豪雪地域であり、岩塊からなる傾斜地であることが、直立した樹形にはなれなかった最大の要因と考えられる。現在までに、この地域で確認されている洞杉は約120 本とのことであるが、調査が進めばもう少し増えるものと考えられる。洞杉の存在が知られるようになったので、日本各地の巨木と同じように、どのように保護するか、あるいは観光化するかなどについては多くの考えがある。

新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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# by meiboku | 2010-02-22 10:34 | 洞杉群  

山五十川(やまいらがわ)の玉杉 -山形県鶴岡市-

 鶴岡市南部、摩耶山地の湯ノ沢岳(964 m)から流れ出す五十川という小さな河川がある。日本海海岸を走る国道7号の五十川集落から五十川沿いに自動車で約20分走ると、山五十川集落に達する。摩耶山地の斜面はかなり急傾斜であるが、狭い谷底にはいくつかの集落が散在している。これらの集落は、日本の原風景ともいえる静かさを醸し出している。

本流の五十川と支流の温俣川の合流点付近に位置する山五十川集落は、山間部にあるがガソリンスタンドもあり、それなりの機能を持っているように思われる。

 玉杉は、温俣川右岸に設けられた駐車場横から比髙約35 mに及ぶ急な石段を登ると、熊野神社の拝殿の前にまさに堂々と立っている。筆者が訪れたのは、9 月末日、石段は掃き清められて、落ち葉が全くみられなかった。杉の巨木は、これまでに何本か見ているが、主幹が上に向かってまっすぐにのびているようすに驚かされ、国指定天然記念物であることは十分納得できる。太い根は波打つように張っており、その根を保護する目的でロ-プが張られている。樹髙 33 メ-トル、幹周り10 m、推定樹齢 1,400 年(看板には1,500 年、日本一とある)、枝張りは東西 35 m、南北 36 m 、均整の取れた半球状の樹形であることから、玉杉と呼ばれるようになったとのことである。それにしても美しい形をした杉であり、集落の人々がいかに大切に守っているかがわかる。見終わって、本当に立派な玉杉に畏敬の念を持って石段を下りた。

 新潟県村上市山北から鶴岡市への海岸道路は、沖合いに浮かぶ粟島を眺めながら走るが、芭蕉が詠んだ句碑「温海山や吹浦かけて夕涼み」(本当は酒田から象潟への途中で詠んだものと思われる)も温海山(温泉岳、736 m)付近に建ち、変化に富んでいる。太陽が日本海に沈む頃、鶴岡から村上へ向かうのが美しい。県境付近には焼畑で栽培された赤カブ売り場、個人の製塩場がいくつか並んでいる。

新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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# by meiboku | 2010-01-20 11:47 | 山五十川の玉杉  

入西(につさい)のビャクシン -埼玉県坂戸市-

 埼玉県中部、関東平野西部に位置する坂戸市は入間台地の末端に当たり、湧水に恵まれているので、条里制の遺構がみられるなど開発は古く、中世~近世には宿場町として機能した。坂戸は越辺(おつぺ)川と高麗川沿いの台地および低地に展開する農村であったが、1916年に東武東上線、1932年に東武越生線が開通すると、宅地化がはじまった。1960年代後半以降、大学や、住宅、工場などが立地、首都圏のベッドタウンとして人口が急増したので、1976年に旧坂戸町を中核として周辺の4村と合併して市制を施行、2009年4月の人口は約10万を数える。

 坂戸市の中心街は入間台地(約8万年前に形成)に位置するが、それを高麗川が侵食して約2万年前に形成した河成段丘面や約1万年前以降に形成された低地にも広がっている。ビャクシンは高麗川左岸の約2万年前に造られた河成段丘面に位置し、旧入西村北大塚であることから、「入西のビャクシン」と呼ばれているが、樹種はイブキである。ビャクシンは周辺よりも高さ12~15 m の小高い丘(大塚の地名の起源、円墳とのこと)の上に建てられた石上神社の社殿の前に見られる。樹髙12 m 、幹周り3.5 m、県指定天然記念物である。樹木は少し傾き、根元からぐるぐるにねじれており、それについてはいくつかの言い伝えが残されているが、地元では「ねじり木」と呼んで大切に保護してきた。

 古墳(埋葬者・時代不明)の上に生育していること、石上神社との関わりから、坂戸市教育委員会(1993)は樹齢を550~850 年と推定している。古木・巨木は、古い歴史をもつ神社、寺院の境内に残されていることが多く、入西のビャクシンもその典型といえる。

新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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# by meiboku | 2009-12-21 15:54 | 入西のビャクシン  

三嶋大社のキンモクセイ -静岡県三島市-

 三島市は富士山の伏流水の湧水地が多く、「水の都」として知られる。市街の北東部は箱根火山の西斜面、西部は愛鷹火山の南東斜面に当たり、東に境川(下流は大場川となって狩野川に合流)、西に黄瀬川が流れ、両河川が造りあげた南に傾斜する扇状地に市街地が広がっている。この扇状地のところどころに湧水が見られところから、古代には伊豆国府が置かれ、地方行政の中心であった。鎌倉時代以降は三嶋大社の門前町として発展してきたので、市の名称もそれに由来するという考えがあるほどである。

 三嶋大社は三島駅南約 1 km に位置し、伊豆国一宮で、三島明神とも称した。祭神は大山祗命(おおやまづみのみこと)と事代主命(ことしろぬしのみこと)、創建年代は未詳であるが、平安初期の文献に現れていることからその古さがわかる。源 頼朝以降、幕府や武家に信仰されて大切に保護され、江戸時代には朱印地530石を領有するほどであったと言われる。

 三島市のほぼ中心に位置する神社の広い境内には多くの巨木が見られるが、キンモクセイは唐門をくぐると拝殿と舞殿の間の右側に立っている。幹は地上約 1 mのところで大きく2 本に分かれ、さらにそれぞれ3本に分岐して四方に広がっているので、巨木というよりもこんもりとした半球状の樹冠となっている。「キンモクセイ」と呼ばれているが、本当は「ウスギモクセイ」(雄株)という種類で、キンモクセイより花が大きく、色が少し淡いとのことである。花は9月上旬~中旬と9月下旬~10月上旬にかけて二度咲く性質がある。樹髙は約15 m、幹周り4 m、国指定天然記念物であり、推定樹齢が1200年ということは、頼朝が活躍していたころ、「キンモクセイ」はすでにこの地に生育していたことになるので、それを考えると不思議な感じがする。

 三島市は駅約500 m南にある楽寿園、隣接する清水町の有名な柿田川湧水群などをはじめとする「水の都」であり、そのきれいな水で約1週間引き締められた「うなぎ」は絶品とのことである。

                                      新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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# by meiboku | 2009-11-20 16:59 | 高瀬の大ケヤキ  

高瀬の大ケヤキ -福島県会津若松市-

  NHK の大河ドラマに取り上げられると、その場所は一躍人気スポットになるらしい。新潟県魚沼市の雲洞庵(うんとうあん)もそうであるが、この大ケヤキが立つ小さな丘の西側にも新しく駐車場が造られ、今年のタイトル「天地人」の旗が風になびいていた。付言すれば、筆者らが訪れた日の翌日、9月13 日の「天地人」の最後で、神指城が紹介された。

 会津若松市の北西部、阿賀川(新潟県に入ると、阿賀野川となる)の右岸に、慶長年間(1596~1615)に上杉景勝が築城した神指(こうざし)城の土塁跡がある。周辺の水田よりも5~6 m 高く、南北方向にのびる小さな丘の北東隅に、このケヤキが立っている。樹髙22 m、幹周り 11.7 m、推定樹齢 500 年、国指定天然記念物、旧環境庁の調査によれば、ケヤキとしては日本で第6 位であり、樹齢から推定すると、上杉景勝が活躍する前から生育していたことになる。この丘から若松城(鶴ケ城)が望まれるので、大ケヤキは戊辰(ぼしん)戦争をどのように見ていたのであろうか。

ケヤキは成長が早く、枝張りは東西29 m、南北 33 m にもなっているが、南西側の枝の成長が激しいために、その重みで折れかかり、樹幹に大きなダメ-ジを与えている。それにもかかわらず、樹勢はなかなかである。

 会津若松市は福島県西部の会津地方の中心都市で、若松城の城下町として広く知られる。城は、背後の湯川と堀で守られ、当初7 層の天守をもつ壮大な名城であったという。市街地には現在でも城下の町割-広い地割の士族屋敷と短冊型の狭い間口の町場-がよく残され、鶴ケ城は1874 年に政府によって取り壊されたが、1965年に復元された。残された堀のスケ-ルから、当時の城の壮大さを偲ぶことができる。会津若松市は猪苗代湖や磐梯山に近く、市内には白虎隊で知られた飯盛山、会津武家屋敷、東山温泉などもあり、観光資源に恵まれている。
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新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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# by meiboku | 2009-10-29 09:24 | 高瀬の大ケヤキ