九品仏のイチョウとカヤ -東京都世田谷区奥沢-

 高校2年の春、長野県から東京都の高校へ転入したので、東急目黒線(当時は目蒲線と呼称)や大井町線は通学路線となった。大井町線に初めて乗車したとき、九品仏駅の北側にこんもりとした森があり、駅名から判断して、由緒ある寺が存在するであろうと考えた。このように、九品仏駅という変わった名称の駅の存在は知ってはいたが、自宅と高校の往復だけで、途中下車をすることは全くなかった。大井町線に初めて乗車してから約50年後、2008年3月、由緒ある寺(浄真寺)の境内に存在する巨木を観るために、九品仏駅に初めて下車した。

 駅前から少し歩くとほぼ北へ向かう参道となり、参道の終わる西側が浄真寺の境内となる。浄真寺は、1678(延宝6)年に芝増上寺の別院として、珂碩(かせき)上人(楼門に向かって右側に開山堂がある)が開山した。本堂が建立された際、その背後に3 棟の小さな三仏堂が建てられ、そこに珂碩上人と弟子の珂憶上人が協力して彫った阿弥陀如来像が、それぞれ3 体ずつ安置されたことから、九品仏と呼ばれるようになったと伝えられる。なお、浄真寺で3 年に 1 度、8月16 日に執り行われるお面かぶり(二十五菩薩来迎会)は、東京都の無形文化財に指定されている。

 楼門を入り、参道をはさんで2 本のイチョウが並んでおり、本堂よりのものが都の天然記念物、樹髙20 m、幹周り4.2 m である。主幹は枯れているようにみえるが、秋には小枝にギンナンをたくさんつけるという。さらに、三仏堂の前には、都内では最大と言われるカヤがあり、これも都の天然記念物の指定を受けている(写真)。樹髙31.3 m 、幹周り5.3 m、枝張り東西 12 m、南北18 m 、根元から約 2 m のところで 2 幹に分かれている。この他、境内には指定を受けていないが、多くの巨木、古木が見られる。九品仏駅周辺は静かな環境に恵まれた住宅地であるが、その静寂さを現出しているのは浄真寺の存在である。

新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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# by meiboku | 2011-12-21 11:06 | 九品仏のイチョウとカヤ  

本郷弓町のクス -東京都文京区本郷-

東京都23区にも案外巨木・名木が残されている。筆者も、学生時代にすぐ傍を通行していたにもかかわらず、その存在すら知らなかったものもある。

 営団丸ノ内線本郷三丁目駅を出てすぐ西の一角に、「弓町の大クス」とか「楠亭の大クス」と呼ばれている堂々たるクスがある。現在、根元近くまで舗装され、西側に高いマンションが建っているが、衰えは全く見られず成長を続けている。ビルに囲まれ日射を制限されているにもかかわらず、生育を続ける生命力に感嘆を憶えるほどである。マンションの建っているところは、楠木正成の血を引くと伝えられる旗本甲斐庄喜右衛門の屋敷跡で、以前はそれに由来する楠亭というフランス料理店があった。現在、その楠亭は、西側のマンション一階に入っている。弓町の名称は、江戸時代に御弓組同心の屋敷があったことに由来し、明治5年には本郷弓町となったが、現在は弓町の名前は消えてしまったとのことである。明治時代に書かれた「東京名所図絵」にも、弓町には老楠樹があると紹介され、その頃から存在はよく知られていたことがわかる。

 司馬遼太郎も1991年にこの地を訪れ、『街道を行く』の中で、このクスノキについて一樹で森を思わせるほどの大木であると書いている。クスノキの樹髙は約20 m、幹周り8.4 m、推定樹齢600 年とされているが、国、東京都などの天然記念物の指定は受けていない。根元は少し高くなって、周辺に立ち入らないように柵が施されているが、大都会の真ん中で生育を続ける大木に改めて驚き、その存在感に敬意を表したいと思う。
新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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# by meiboku | 2011-11-11 17:09 | 本郷弓町のクス  

村雨の松 -新潟県佐渡市-

 新潟市から佐渡島は約30 kmしか離れていない。佐渡島は、新潟海岸から余程の天候でない限り望むことができるが、佐渡の動植物が越後のそれと大きく異なっているのはなぜであろうか。それは佐渡と新潟市を隔てる佐渡海峡は深さが水深200mを超えていることから考えて、更新世(約260 万~1万年前)における氷河性海面変化の影響を受けることなく、新第三紀末期には佐渡と越後とはすでに分離しており、動植物はそれぞれ固有の進化を遂げたことによると考えられる。

 新潟港からカ-フェリ-で約2時間半、ジェットフォイルを利用すれば約1時間で佐渡・両津に着く。両津港タ-ミナルを出て北方を見ると、加茂湖の湖口北側に建物に挟まれて高い木が見える。これが村雨の松であり、タ-ミナルから歩いても約5分である。村雨の松は、両津湾を閉塞し、加茂湖を誕生させた砂州に生育したことになる。かって筆者らは加茂湖周辺で掘削調査を行い、年代試料、花粉・珪藻分析をもとに湖の誕生・消滅を調べたことがある。それによると砂州の発達によって両津湾を閉塞することは繰り返されたが、大佐渡および小佐渡から成長した砂州によって今日のような加茂湖が誕生したのはおよそ1,800年前頃ということが明らかとなった。両津の名称は、この砂州に発達した夷町と湊町という2つの津(港)が、明治34年に合併したことに由来する。

 村雨の松の樹種はクロマツで、樹髙16 m、幹周り 6 m、推定樹齢300 年、驚くような巨木ではないが、県指定の天然記念物である。この木の名称は、ここに江戸時代に番所があったので、「御番所の松」とも呼ばれていたが、明治の文豪・尾崎紅葉が当時の海岸線近くにあって波しぶきに濡れるもを見て、「村雨に濡れる風情あり」といったことによると伝えられる。ところが、1990年の台風19号によって、根元からやや上で2 本に分かれていた支幹が被害を受けて衰弱したために、片方の支幹を切ってしまったとのことである。現在は、その後の手厚い手当で順調に勢いを回復している。当地は両津埠頭に近いので、佐渡汽船乗船の時間調整に訪れてみたらいかがであろうか。

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新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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# by meiboku | 2011-06-30 10:00 | 村雨の松  

東根の大ケヤキ -山形県東根市-

 山形県は庄内の北部と新潟県寄りの地域を除く大半が、最上川流域のみからなる珍しい県であり、県の盛衰は最上川を抜いて語ることはできない。

 東根市は山形県の中東部に位置し、人口約4.6 万を数える。サクランボ・洋ナシ(ラ・フランス)やリンゴなどの果樹生産、特にサクランボの主要品種「佐藤錦」が開発されたところとして知られる。山形市から新庄市へと向かう国道17号沿いにもそれらの果樹園が展開しており、それらは奥羽山脈から流れ出す大小の河川が造りあげた扇状地に位置し、古くからの町並みはより山側(扇頂)に位置している。国道17 号から扇頂へ向かって、三日町、八日町と歴史を感じさせる中心街を通り、一段高くなったところに東根小学校がある。その東根小学校の構内、正門近くに堂々たる大ケヤキが立っている。実はこのケヤキのそばにかつてはもう一本大ケヤキが並んでおり、前者は雌槻、後者は雄槻と呼ばれていたが、雄槻は残念なことに1885(明治18)年に枯れてしまったとされる。1991年の環境庁の調査報告では、生き残ったケヤキは第 3 位の巨木とされているが、第 1位と第2 位のケヤキの傷みが激しく、主幹などが伐採されているので、現在ではこの大ケヤキが日本一といえる。樹髙 24 m、幹周り 12.6 m、推定樹齢 1,500 年以上、その巨大さ・樹勢からみても国指定天然記念物であることは十分納得できる。主幹は地上から約 5 m のところでふたまたに分かれているが、それぞれ上に向かって枝を大きく広げている。二つの枝の境目には大きな空洞があり、それをくぐり抜けると子宝に恵まれるとされるが、現在は柵によって立ち入ることはできない。

 ところで、ケヤキが立っている小学校の校内は、南北朝時代の小田島長義が築いた本丸跡である。したがって、樹齢から考えると、東根城築城当時すでにかなりの大木であったことになる。小学校、そしてケヤキもすばらしい環境に立っており、東根の人々から大切に保護されている。小学校に達するには、整然とした敷石の坂道を登り、周辺にはケヤキ案内所・トイレ、大きな池も造られ、公園整備が進んでいる。中心街には、歴史を感じさせる広大な旧宅が所々に残されているので、ゆっくり散策するのも楽しい。

新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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# by meiboku | 2011-05-31 09:47 | 東根の大ケヤキ  

七五三掛桜(しめかけさくら) -山形県鶴岡市-

 朝日山地からの大鳥川と朝日山地・月山からの梵字川は旧朝日村落合で合流して赤川となり、庄内平野に流入する。鶴岡市中心街から自動車で約30分で落合、そこからは梵字川沿いの山地斜面に造られた国道112号を約10分、大網橋から急な斜面を数分走ると大網に達する。

七五三掛桜は、山地斜面の最上部に位置する大網字七五三掛の注連寺の境内に立っている。本堂のすぐ横にやや南東方向に傾くように立つ七五三掛桜の樹種は、カスミザクラである。推定樹齢200年とのことであるので、樹髙12.5 m、幹周り3.2 m と必ずしも巨木ではないが、鶴岡市指定の天然記念物となっている。寺の名称注連は、「注連縄」(しめなわ)のことであり、御神木の七五三掛桜に注連縄を掛けていたことに由来する。注連寺は真言宗智山派の寺院であり、鉄門海上人の即身仏(ミイラ仏)が残されていることでも知られる。注連寺は、出羽三山が女人禁制であった時代に、「女人のための湯殿山参詣所」として信仰を集め、この寺が女性が到達できる境界(結界)であり、そこに注連縄を張ったことに由来する。注連縄の締め方は、中途に7本・5本・3本の縄を通してぶらさげる七五三掛であり、地名、寺の名称もこれによっている。しかし、明治時代になって神仏分離が行われ、出羽三山がすべて神社となり、注連寺も湯殿山参詣所としての役割を失い、周辺に存在した宿坊もなくなってしまった。小説「月山」で1974年第70回芥川賞を受賞した森 敦は、この寺に約半年滞在して同作品を書いたと言われており、それを記念して境内には小さな森 敦文庫が建てられている。なお、2009年春、この注連寺のすぐ下の斜面で地すべりが発生、散在していた家屋の大半は移転、田畑は耕作不能となった。筆者が訪れた2010年10月24日も防止工事が行われていた。鶴岡~山形の国道、これと並走する山形自動車道は出羽三山と朝日山地の境界を走っており、新緑や紅葉の時期にはすばらしいドライブコ-スとなる。梵字川最上流に位置する田麦俣は重層家屋で知られていたが、現在、わずか2戸残されているにすぎない。
新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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# by meiboku | 2011-04-26 15:33 | 七五三掛桜  

東昌寺のマルミガヤ -宮城県仙台市-

 仙台市中心街は北側、西側を台地や丘陵に囲まれ、南東方向に開いた地形から成り立っている。市街地の北側には台ノ原段丘とよばれる、広瀬川が約10万年前ころに造りあげた河成段丘面が残されている。台ノ原の北側にはJR仙山線がほぼ東西方向に走り、北仙台駅から至近距離である。台ノ原の名称からも推定されるように、段丘崖に相当する急斜面を登るとその上は平坦な地形となっており、西側の北山1丁目から青葉町にかけては輪王寺、資福寺、覚範寺、青葉神社、東昌寺、光明寺などの格式の高い社寺が並んでいる。段丘崖の下がおよそ標高50m、段丘面の上が標高70 m であるので、標高差(比髙)約 20 m に造られた長い石段を登ると、いずれの社寺も南向きに立っている。東昌寺の住所は青葉区青葉町8-1であり、庫裏の北側にマルミガヤ(雌株)が見られる。

 マルミガヤは樹髙 17.5 m、幹周り5.3 m、推定樹齢 500 年、国指定の天然記念物である。東昌寺は仙台城の鬼門の方角に位置しているので、伊達政宗が鬼門除けとして植えたと伝えられる。なお、種子は藩主の食用にも供されていたので、「御前ガヤ」とも呼ばれていたとのことである。現在では、根元で 2 本に枝分かれしているが、私が訪れた10月中旬には多数の実をつけており、樹勢にいささかの衰えも感じられなかった。東昌寺の広い境内には、アカマツ、コウヨウザンなどの巨木も見られるが、きちんとした本殿、庫裏、掃き清められた庭を通り、石段を下りるころには何となく清々しい気持ちになった。

 かつての仙台市は、この北山地区から南側を中心市街地としていたが、周辺市町村との合併により急速に市域を拡大させた。現在では、この北山地区の北側の七北田丘陵が開発されて住宅地となったので、この地区はむしろ仙台市の中心に位置することになった。段丘崖はまだ緑豊かであり、眼下に中心市街地を見下ろすことができる仙台市の特等席である。ところで、3月11日午後2時46分に、東北地方太平洋沖地震(巨大地震、M 9.0)が発生し、現時点で死者・行方不明者が2 万数千人に達する大惨事となった。宮城県沖で30年以内に大地震が発生する確率は99%と言われていたが、M 9.0 は想定はされていなかった。このマルミガヤも初めての体験であったろうか、聞いてみたいものである。

新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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# by meiboku | 2011-03-29 09:50 | 東昌寺のマルミガヤ  

府馬の大クス -千葉県香取市-

 千葉県は京都府、大阪府、沖縄県とともに標高1,000 m を超える山地がないだけでなく、標高 500 m を超える山地もない唯一の県である(最高峰、愛宕山 408 m)。房総半島の南端には標高の低い山地や丘陵があるが、北部はほとんどが下総台地と呼ばれる約 12.5 万年前に造られた海成面からなる平坦な台地である。

 府馬の大クスは、標高40 m の下総台地の一端にあり、古くから「府馬の大楠」あるいは「山ノ堆の大楠」と呼ばれ、当地域随一の巨木として親しまれてきた。この木はクスノキとして国指定の天然記念物とされているが、1969年の本田正次博士(文化財審議専門委員)の調査で、クスノキではなく、実はタブノキであることが明らかにされた。この地方では、タブノキのことをイヌグスと呼び、クスノキを本グスとか、樟脳グスと呼んでいるため、種名を間違えてクスノキとして告示されたものと考えられいる。このタブノキは宇賀神社の入口の右側に大きく枝を広げ、数本の巨木とともに境内全域に大きな陰をつくりだしている。根は地面から盛り上がっており、生長に伴い根元にある石の祠に食い込んでいる。祠には正徳元(1711)年の銘があることから、約300年をかけて祠をを抱え込んだことになる。樹髙16 m、推定樹齢1,300~1,500 年、根周り約27.5 m、幹周り約 15 m、枝張りは南西に 15 m、北方に 13 m に及んでいる。なお、北側約 7 m 離れたところに「小グス」と呼ばれるタブノキがあるが、これは元来、大グスの枝が地上に垂れて根を張り、生長したものである。そのようすは、江戸時代後期に出された『下総名勝図絵』に描かれているが、つながっていた枝は明治末期に枯れてしまったとのことである。

 宇賀神社の位置する付近は、弥生~奈良時代にかけての住居跡が見つかり、さらに山ノ下城跡の一部とされ、すぐ南西には府馬城跡がある。鎌倉時代末期に千葉一族の府馬(賦馬)氏が城を築き、16世紀半ばに近隣の豪族との戦いに敗れるまで続いたという。大クスは、2003年度からの樹勢回復工事と周辺の環境整備事業が行われ、地元住民によって大切に守られている。

新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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# by meiboku | 2011-02-18 10:29 | 府馬の大クス  

多和目のカゴノキ -埼玉県坂戸市-

 埼玉県中部に位置する坂戸は東武東上線(1916年)と東武越生線(1932年)の開通により、住宅地化が進んだ。とくに、坂戸市は、1960年代後半から工場、大学などが進出し、首都圏のベッドタウンとして人口が急増、1976年坂戸町が三芳野、勝呂、入西、大家の4村と合併して、市制を施行した。坂戸市の人口は、2010年現在で約10万を数える。市域は入間台地(約5万年前ころに河成層として堆積)の末端に位置し、湧水にも恵まれ、条里制の遺構も見つかっていることから、開発時期は早かったと考えられる。

カゴノキは坂戸の中心街から日高へ向かう県道日高川島線沿いの多和田集落の天神社境内に立っている。社殿はずいぶんひなびているが、その東隣に生育しているカゴノキは「鹿子の木」と書くように、樹皮に鹿の表皮のようにまだら模様が認められ、その異様さに驚かされる。この木は看板によれば、正式名称が判明するまで「なんじゃもんじゃの木」とか「鹿の子木」とも呼ばれていたと言われる。埼玉大学永野教授の鑑定(1984年)によれば、この木はクスノキの仲間でまだら模様があるのは珍しいとのことである。カゴノキは暖地性の常緑喬木で、元来沖縄、九州、四国に分布し、関東以北にはほとんど分布していないので、この樹木は植生地理的にも貴重とされる。 樹髙15 m、幹周り 4.6 m、推定樹齢1,000年(樹木医によると、800年とされる)、市指定の天然記念物である。根元から高さ2 mくらいまでにやや大きめの空洞が認められるが、樹勢にそれほどの衰えは感じられない。しかし、早晩、空洞に対する手当が必要になるだろうと考えられる。

 坂戸市はこれといった特徴はないが、県都さいたま市よりも東上線を利用すれば東京都心へのアクセスが容易であり、想定される自然災害もほとんどない優れた住宅環境を持っている。関越自動車道の鶴ヶ島ICも近いので、今後も東京都の衛星都市として発展を続けるであろう。
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新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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# by meiboku | 2010-12-16 17:20  

大久保のナツグミ -群馬県中之条町-

 これまで何回か紹介した群馬県吾妻郡中之条町には、他地域に比べて、多くの巨木、名木が残されているが、それは何故であろうか。山地・丘陵・台地(段丘)に比べて、海岸平野、河成平野などの完新世低地は形成年代が新しい上に、開発に伴って樹木が伐採された可能性が考えられる。中之条町は、吾妻川沿いに発達しており、河成平野はほとんどなく、平坦な段丘面に集落が造られ、高位段丘面の崖や背後の丘陵・山地にはそれほど開発の手が延びていない。それは、中之条町に残された巨木の大半が、段丘崖・丘陵・山地斜面に見られることからも裏付けられる。 

 中之条盆地に見られる河成段丘面は、古い順に蓑原(みのはら)面(約30万年前)、成田原面(約10万年前)、中之条面(約3万年前)、伊勢町面群(約2万年前以降)に分類される。最高位の蓑原面(標高560-600 m)は中期更新世に存在した古中之条湖と呼ばれる湖成層からなり、その堆積層の厚さは200 m以上に達する。何故、古中之条湖が造られたかは、下流側に存在したと推定される榛名火山の活動に伴う堰止めによると考えられるが、現在、いずれの時代の噴出物によるかはわかっていない。中之条中心街の位置する中之条面からほぼ北西方向に成田原面を経て、蓑原面に登ると、蓑原面と嵩山との間に胡桃沢川が流れている。所々に立つ標識に従って、胡桃沢川左岸の狭い道を登ると堀口家に達する。その堀口家の裏の山地斜面にグミの木の主幹がはうように生育している。看板によれば、1981年8月の台風10号の強風によって横倒しになってしまったので、県教育委員会の指導を受けて、土留めをし、浮き上がった根元に土をかけ、支柱を立てて保護した結果、このような形態になったという。樹髙は 10 m、幹周り 2.5 m、推定樹齢300 年、県指定の天然記念物であるが、このようなグミの巨木は珍しいとされる。樹形は変わってしまったが、樹勢は旺盛、初夏には赤い実をたくさんつけるので、「田植えグミ」とも呼ばれている。

このナツグミのように予想外のところに、変わった形態を保ちながら、元気に生育しているのに驚かされる。
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新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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# by meiboku | 2010-09-24 10:48 | 大久保のナツグミ  

御座石神社の七種の木 -秋田県仙北市-

 秋田県中東部に位置する田沢湖は、最大深423.4 mで日本最深の湖として知られているが、硫酸銅を溶かしたような水の色の美しさも有数である。かつては摩周湖に次いで透明度も高く、30 m (1926年)を記録したが、最近は湖岸に打ち寄せるごみや湖水の汚染が問題となっている。また、クニマスなどの固有の魚類もいたが、1940年に電源開発のために玉川の強酸性の水を流入させたことにより完全に死滅、最近になって、流入口で中和剤を投入し、魚類の復活を目指すようになった。田沢湖の成因は陥没カルデラとされているが、それにしては陥没の原因となった大量の火砕物質が周辺にあまり残されていないのが謎であり、東大名誉教授久野 久は「一般地質学」の講義で隕石の衝突の可能性を指摘し、それには隕石起源の鉱物が発見されれば証明できると述べていた。これについてはまだ研究が進んでいないようで、現段階では、田沢湖は十和田湖、屈斜路湖、支笏湖などと同じタイプの大カルデラ火山に起源をもつとされている。 

 田沢湖岸では、御座石神社付近の水の色が、湖岸の木々と調和してとりわけきれいである。湖岸の水際に、「動かすと雨が降る」と言い伝えのある雨乞石があり、それほど大きくはないが柵によって保護されている。雨乞石を覆うように松、杉、桜、槐(えんじゅ)、エゴノキ、梅、梨の7種が一株から成育している。これらの樹木は大きくないが、一株から生えているのが珍しいとされている。しかし、七種の木に注目する人はほとんどなく、筆者も何回となく当地を訪れているが、気がついたのは2009年 7月12日が初めてであった。なお、御座石神社の石段横に、県指定天然記念物のスギが立っているが、これも驚くような巨木ではない。

 田沢湖は夏季には水泳、ヨット、ジェットボ-トなどを興じる人々、遊覧船で賑わい、湖岸に伝説の辰子姫像、辰子姫を祀る御座石神社を巡る一周道路もあり、田沢湖高原、乳頭温泉、角館などとともに一大観光地となっている。

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新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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# by meiboku | 2010-09-06 09:14 | 御座石神社の七種の木