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大智寺の大ヒノキ -岐阜市北野-

 岐阜市は清流、長良川の両岸に位置し、戦国大名にのしあがった斎藤道三が金華山に城郭を築き、織田信長が井の口から岐阜と改め、楽市・楽座を開くなど城下町として発展した。岐阜市は自然と歴史が調和した美しい街なみを展開させ、現在、人口約41万を数える、岐阜県の県庁所在地である。

 岐阜市の北端、鵜飼いで知られた長良川の少し上流で流入する武儀川をほんのわずかさかのぼった、山県市に近い美濃山地の南麓、山県北野に大智寺がある。大智寺の参道を歩き、中門をくぐると中庭に普通のヒノキとは少し変わった大ヒノキが堂々と立っている。このヒノキの幹は時計回りにねじれているが、何故であろうか。根元に立つ看板によれば、この木はかって落雷にあって幹に裂け目ができ、そのあとの幹の異常な発育によってねじれが生じたとされている。そのために幹の内部には空洞ができ、枝の先端の一部は枯死している。樹髙30 m、幹周り6.6 m、推定樹齢700 年、県指定天然記念物、県第2位の大ヒノキとのことである。
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大智寺は、1500(明応9)に玉浦宗眠(ぎよくほそうみん)が開山した臨済宗妙心寺派の古刹である。なお、宗眠が亡くなったときに、このヒノキは悲しみのために枯れかかったが、檀家の人々が大般若経を一心に唱えたところ、生き返ったと伝えられている。大智寺は江戸時代には18石8斗の御朱印を受け、葵の紋の許可を受けているので、現在も屋根瓦にそれが残る格式高い寺である。近年は、本堂の古瓦が土と一緒に積まれた瓦土塀(信長塀と呼ばれているらしい)も注目されている。なお、江戸時代の俳人、蕉門十哲(芭蕉の高弟)の一人、美濃派開祖の各務支考はこの地で生まれ、6~19歳までこの寺で小僧として修行し、後年寺の一隅、「獅子庵」を終の棲家としたと言われる。大智寺は山を背にした広い境内であるが、清められた庭、苔をめぐらせるなどの手入れがいきとどいており、清々しい気持ちにさせられる。

新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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by meiboku | 2009-07-23 14:48 | 大智寺の大ヒノキ