五十番のシナノキ ~長野県東御市~

 長野県は古くは科野(しなの)と記したが、713年に信濃とされた。その名称は、科(しな)の木を多産したからだとか、級坂(しなさか、=段丘地形)が多いからだとの考えがある。今回は、そのシナノキを紹介することにしたい。

 長野県東部(東信)の東御市は、2004年に千曲川左岸の北佐久郡北御牧村と右岸の小県郡東部町との合併により誕生、自然が豊かに残る人口31,380の市である。。千曲川左岸は千曲川谷底から約200 m高い御牧ヶ原とその西に一段低い八重原という丘陵・台地からなるのに対して、右岸は烏帽子火山群(2066 m)の南斜面に広がる扇状地などからなる。国道18号の牧家集落から烏帽子火山群の湯ノ丸山(2101 m)と西篭ノ登山(2200 m)の鞍部に当たる地蔵峠を経て群馬県嬬恋村田代に達する道路が走っている。この千曲川沿いの地域から地蔵峠を越えて鹿沢温泉に達する道は、かつて湯道とよばれていた。このことは、鹿沢温泉の湯の効き目を信じた湯治客がいかに多かったかを物語っている。そのために、江戸時代末期から明治時代の終わりにかけて、旅人の安全を祈願するために道沿いに番号を付けて100体の観音石仏が設置された。
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 五十番のシナノキは、新張(みはり)地籍の一番観音から数えて50番目の馬頭観音のそばに立っている。根元近くに空洞が認められるものの、2本に枝分かれした幹を道路側に傾くように大きく枝を広げ、夏には絶好の日陰をつくりだしている。高さ17 m、幹周り3.1 m、枝張り18 m、推定樹齢300年以上であるという。そばの看板には、諸国を行脚していた弘法大師が五十番観音のところに存在した茶屋で休憩し、持っていた杖を地面に挿したのが根付いて大木になったとう言い伝えが書かれている。弘法大師にかかわるこの種の伝説は全国に残されているが、この木も「弘法大師のさかさ杖」ともよばれている。なお、この木は林野庁の「森の巨人たち100選」にも選ばれている。

 国道の分岐点付近には、旧北国街道の宿場の町並みを残す海野宿や江戸時代中期の名力士雷電の生家があり、湯の丸牧場には国指定天然記念物レンゲツツジの大群落、池の平の高山植物、冬季には雪質のよいゲレンデになるなど、それぞれを楽しむことができる。

  新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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by meiboku | 2008-08-20 17:06 | 五十番のシナノキ  

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