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石割桜 -岩手県盛岡市-

 2013年の夏、盛岡市内は「あまちゃん」人気もあり観光客に溢れていた。前年はそうでもなかったのに、夏の土曜日の宿泊は市内のいずれのホテルも予約がむずかしいほどであった。これまでに、盛岡市には何回も来ており、石割桜の存在は知っていたのに見る機会がなかった。石割桜は、盛岡市のほぼ中心に位置する盛岡地方裁判所のそれほど広くない前庭にあった。
石割桜は周囲約 22 mもある花崗岩の巨岩を2 つに割るように生育するエドヒガンザクラで、主幹の幹周り 4.3 m、樹高10.8 m、樹齢360 年とのことである。なぜ、石を割るように生長したかは不明であるが、おそらく花崗岩に元々存在したであろう節理に種子が落ち込み、それが生長するにしたがって節理を楔状に拡大させ、石を割ってしまったものと考えられる。その巨岩を割る桜のエネルギーは大きく、現在でも割れ目は拡大しているという。巨岩に挟まれた幹は平板状になっていることは間違いなく、岩の下は普通の根が広がっているものと思われる。巨岩を割るように生育する不思議さから、1923年に国指定の天然記念物となっている。なお、1932 年に地方裁判所が火災となった際、樹木の北側の一部が焼けてしまったが、駆け付けた庭師・藤村治太郎が身に着けていた半纏を水に濡らして守ったというエピソードはよく知られている。その後、樹勢の衰えが見られるようになったので、2000 年に樹木医による本格的な治療が行われた。例年、開花は4月中旬、
筆者が訪れた7 月上旬には青葉が元気よく広がっていた。それにしても、このサクラは窮屈な環境にもめげずに生育しているのに驚かされる。東北大震災からの復興はむずかしく時間が必要であろうが、厳しい環境にあっても負けないで生き続けなければならないと思う。
                       新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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# by meiboku | 2014-05-08 14:36 | 石割桜  

高森の大ケヤキ -新潟市-

 越後平野は数千年前以降に形成された北北東-南南西に約76 km、西北西-東南東に約10~25 km、面積2,070㎞2 の広さを持つ平野である。更新世台地が発達する関東平野とは異なり、低湿な平野が大半を占める。越後平野は東西に位置する新第三紀層の向斜部が埋積されて形成され、それらのアウトラインを造り上げた構造運動は、現在、今後も継続するので、そのことを認識して土地利用計画を考えないといけないことになる。
 越後平野の海岸には、海岸線に平行する多くの新・旧砂丘・砂堆が見られ、それらは河川沿いの自然堤防とともに微高地で、高燥であることから、住宅地・工業用地などに選ばれてきた。それらの砂丘・砂堆列が、いつ頃形成されてきたかは、これまで考古学的遺跡・遺物の分布などから考えられてきたが、近年、鴨井ほか(2006)が砂丘と砂丘の間の低湿地から採取された植物遺物の年代測定をもとに、約 10 列におよぶ各砂丘の形成年代が推定されるようになった。
 前置きが長くなったが、阿賀野川右岸、新潟市東区高森に、周辺よりも約 12 m 高い丘(約5,000 年前に形成された砂丘)があり、東側から石段を登るとその頂部に高森薬師堂が祀られている。本殿の横に大ケヤキが堂々と直立しており、主幹上部は切断され、北側は腐食しているのが手当てがなされ、多数の衝立の柱などによって大切に保護されている。主幹の中・下部には大小のこぶがたくさん見られ、それだけでもかなりの樹齢を感じさせる。樹高 20 m、幹周り 10 m、推定樹齢 1,200 年、県指定天然記念物とのことである。本殿裏・南側の高森稲荷神社周辺には、保存樹としてケヤキ、エノキなどの巨木も見られる。高森は阿賀野川に近いので、これまで何回も水害を受けてきたが、砂丘頂部は高いこともあって、ダメージを受けることはなかったと思われる。高森という名称の起源も、この小高い砂丘と巨木に由来することは明らかである。この時期の大ケヤキは、北西からの激しい風雪と闘っていることであろう。     
                       新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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# by meiboku | 2014-03-18 14:13 | 高森の大ケヤキ  

鳥居杉 -新潟県糸魚川市ー

 飛騨山脈北端は親不知・子不知の険で急激に日本海に没入する。この親不知・子不知海岸は、昔も今も新潟県と富山県の大きな障壁となっており、それゆえに両県の地形・地質的な違いだけでなく、社会的・文化的な違いを生み出してきた。松尾芭蕉も「奥の細道」で、この難所の通過をクライマックスとして描いているように、いかにして無事通過するかであったと思われる。 新潟県西端に当たる糸魚川市(旧青海町)上路地域は、地形・地質から言えば、西南日本の特徴を持っているので富山県に属してもよいのであろうが、室町時代から越後国頸城郡の地名として登場してきた。この上路は、親不知・子不知の難所を避けるために、富山県との境を流れる境川沿いに上路に達し、橋立を経て青海に達することもあったと伝えられる。
 この上路集落の南東に白鳥山(1286.9 m)が聳えている。白鳥山には、坂田峠からさわがに山岳会が開いた栂海新道か、山頂のほぼ北まで達する林道を利用すれば、いずれも短時間で登頂できる。後者の登山道を利用すると、標高 800 m 付近に山姥ノ洞に達する。山姥ノ洞は巨岩に空いた幅 2 m、高さ 2.5 m の小さな穴というよりは、白亜紀手取層群(泥岩・砂岩・礫岩)の節理にすぎないが、山姥の伝説で知られ、それをもとに世阿弥が謡曲「山姥」を作ったと伝えられる。
 そこから古い地すべり地形の滑落崖を登ると、傾斜が緩くなり1,060 m の山稜となり、
その登山道沿いに曲がりくねった鳥居杉が見られる。幹は根元から地面に這うように伸び、高さ約 1.5 mから上方に向かっており、目測で樹高10 m、幹周り2 m程度と驚くような巨木ではないが、以前に紹介した天然スギの原生林(新潟県佐渡北部)や洞杉群(富山県魚津市)と同様に豪雪によって直立した樹形になれなかったと思われる。佐渡や魚津のそれはダメージを受けた多くの巨木群が見られたが、ここでは鳥居杉のみであった。それだけ、この付近のほうが厳しい環境と考えられ、、鳥居杉だけがたまたま生育できたのかも知れない。なお、2.5 万分の 1 地形図にも、鳥居杉の名称が記入されていることから、古くから山姥ノ洞や白鳥山を訪れる人たちにとっては知られた存在であったと思われる。
                       新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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# by meiboku | 2014-02-18 14:36 | 鳥居杉  

兼六園の根上り松 -石川県金沢市-

 2014年は、日本三名園の一つとして知られる兼六園からスタートすることにしたい。兼六園は、加賀藩 5代藩主・前田綱紀が造った蓮池にはじまり、代々の藩主によて庭園に仕上げられていった。兼六園の命名者は松平定信と伝えられ、「宏大、幽邃、人力、蒼古、水泉、眺望」の六勝を兼ねる庭という意味とのことである。園内には多くの巨樹、名木が見られ、霞ケ池の畔には、美しい枝ぶりを水面に映す「唐崎の松」(13代藩主・斉泰が琵琶湖畔の唐崎から種子を取り寄せて実生からから育てたクロマツ)もあり、冬に雪吊りをした姿は、公園のシンボルとさえなっている。
 ところで、公園の中心に近い千歳台には根上り松が雄大な姿を見せている。一般に、根上りと呼ばれる樹形は、雨水や風食によって根元の土壌が流出して、結果として根が露出することによるが、この松は予め高く土盛りしたところに植えておいて、その後、生長とともに土壌を少しずつ取り除いて根を露出させるというやり方で人為的に作られたという。樹幹は 2 本、根上りは地面から約 2 mにも達する。樹種はクロマツ、樹高 10 m、幹周り 3.9 m、藩主・斉泰が植えたことから、「手植えの松」とも呼ばれている。これをもとにすると、推定樹齢は約 300 年余りとなる。根上り松は、松特有の傘状の形態をしており、からみあった根上りのようすを見られるのも一興であろう。低地と台地の接点に金沢城は造営され、その南東側に兼六園が位置している。金沢一の繁華街・香林坊近くに金沢城・兼六園のような史跡・公園があることだけでも、金沢市の立派な宝物である。ただし、兼六園は全国から観光客が集まるので、いつ行っても人に溢れており、静かに散策を楽しむことはむずかしい。それには、夏ならば早朝、眺望台から川霧の湧く浅野川を見下ろし、それからゆっくり園内を歩くのが一番である。
                        新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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# by meiboku | 2014-01-21 18:27 | 兼六園の根上り松  

勝源院の逆ガシワ -岩手県紫波町-

 岩手県は東北地方の巨人であり、訪れて楽しい県である。面積が大きいだけでなく、西部には脊梁をなす奥羽山脈、中央部のやや西よりには南流する北上川沿いに展開する北上盆地、そしてスケールの大きな北上高地、その東縁は三陸海岸となっており、変化に富んでいる。今年は震災からの復興だけでなく、NHK 朝の連続テレビ小説「あまちゃん」の人気もあって岩手県、特に盛岡市は人で満ち溢れていた。ドラマは現実と虚構が入り混じって描かれているにも拘わらず、ドラマの候補地を巡る熾烈な争いを聞くにつけても、TV の影響が大きいことを実感させられる。
 盛岡市の賑わいから脱出して自動車で国道 4 号を約 1 時間南下すると、北上川両岸に広がる紫波町に達する。町の中心街は右岸に展開しており、JR 紫波中央駅に近い 4 号沿いに勝源院がある。本堂の裏庭に回ると、正に異様な形態をした巨大な物体が目に飛び込んでくる。一般に、巨樹などを探していると、その樹高、巨大さからかなり遠方からでもその存在がわかることが多いが、この「逆ガシワ」は地面にのたうっているかのようなさえ見えるので、近づいて初めてその存在を知ることができる。このカシワは根元で 4 本の分かれた支幹が地面をはうようにのびて立ち上がり、枝をいろいろな方向に伸ばしている。樹高 12.2 m、幹周り約 5 m、枝の広がりは南北 25 m、東西 30 m、根が枝になったように見えることから「逆ガシワ」、別名「みだれカシワ」と呼ばれるようになったと伝えられ、その形態のおもしろさから国指定の天然記念物となっている。寺伝によれば、前九年の役(1051~62年)の勝利した源 頼義・義家親子が戦死者の霊を弔うために庵を建て、源氏の勝利にちなんで勝源庵と名付けて、庭にカシワを植えたことが始まりであるという。このことから、推定樹齢は約 950 年とされるが、看板には約 300 年とあることから判断すると、2 ~ 3 代目のカシワであろうか。樹木でも単に巨樹、樹齢の古さだけでなく、形態の異様さ、不思議さが評価に値することもあっておもしろい。

           新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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# by meiboku | 2013-12-18 11:04 | 勝源院の逆ガシワ  

中木のサザンカ -群馬県安中市ー

 新潟県に住んでいる人たちからすると、 群馬県西部は行く機会が少ない地域かもしれない。
隣接する長野県東部(東信)に行く場合、長野市、飯山市などを経由することが多く、関越道から藤岡ジャンクションを経て上信越道の利用は、少なくとも筆者にとっては荒船山登山の際に使った程度に過ぎない。
 高崎市から中山道を走り安中市街地を過ぎると、眼前に奇怪な山なみがそびえるようになる。妙義山は中木川をはさんで松井田側を表妙義、横川側を裏妙義と呼んでおり、日本の山としては特異な山容であり、多くの人々に強い印象を与える。山水画のような岩峰が連なる奇岩・怪岩の妙義山は、赤城山、榛名山と並ぶ上毛三山の一つとして知られる。
 サザンカは五料甲の中木集落に位置しているので、峠の釜飯で知られたJR 横川駅から碓氷川を渡り、曲がりくねった道路を走ると、民家の入り口近くに石積み・垣根を乗り越え道路側にかなり傾いて生育する巨木をようやく見つけることができた。サザンカの存在は県の天然記念物に指定されていることもあり、地元の人々は知っているが、目印が少ないこともあって、屈曲した道路を教えてもらうのがむずかしかった。
 生長の遅いサザンカは樹高 5.5 m、幹周り 1.6 m、推定樹齢 1,000 年であり、驚くような巨樹ではないが、群馬県最大のサザンカということから群馬県天然記念物の指定を受けている。例年、11月末から3 月にかけて少しずつ咲くとのことであるが、筆者が訪れたのは11 月上旬であったためかピンクの花が数輪咲いていたにすぎなかった。妙義山の岩峰直下の小さな集落に、寒い時期に4 か月間に渡って少しずつ花を咲かせるサザンカに敬意を表したくなる思いがする。中木集落は妙義山北麓、幹線・中山道から離れた碓氷川南岸の静かな環境に位置する      新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫

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# by meiboku | 2013-11-19 10:10 | 中木のサザンカ  

大井沢の大栗 -山形県西川町-

 山形県西川町大井沢は、朝日山地の障子ケ岳・天狗角力取山への登山口として知られている。しかし、大井沢は山形盆地からかなり離れ、山形~鶴岡~酒田を結ぶ国道112号を通ることはあっても、当地を訪れる機会がなかった。西川町は1954年に 4 村が合併して成立、1975年の人口は10,016(高齢化率、13.6%) を数えたが、2011 年には6,458(高齢化率35.6 %)と激減、日本の豪雪山間地と同様に著しい過疎化に直面し、その根本的な打開策を見つけることはむずかしい。2011年11月上旬、月山山麓に紅葉見物に出かけた折りに、月山ダムから南下して寒河江川上流の大井沢を訪ねることができた。主要な集落は、寒河江川中流に沿う国道112 号沿いに展開し、月山湖に流入する寒河江川上流の大井沢には想像以上に家屋が散在していた。詳しい資料は持ち合わせていないが、大井沢の家屋数および小・中学校の閉鎖などから考えて、人口は100 人未満と推定される。

 その大井沢のほぼ中心に造られた大井沢自然博物館および自然と匠の伝承館(旧小・中学校跡地)付近から寒河江川左岸の林道を数 km走る。集落および林道沿いには、熊出没注意の立て札が数か所見られたので、注意しながら自動車を停めてから約150 m 歩くと眼前に大きな栗の木が飛び込んできた。当地は北東へ傾斜する地すべり地形と推定され、標高約 600 m である。樹種はシバクリ、樹髙15 m、幹周り 8.5 m、推定樹齢約 800 年、町指定の天然記念物であったが、1996 年「巨樹の会」によって太さ日本一の大栗と認定されたことから、県指定に格上げされた。栗の実は既に落下していたが、黄色くなった葉のようすなどからみて、まだまだ衰えを感じさせない樹勢である。このような訪れる人もほとんどない山地斜面に残された大栗は、長い年月いかにして豪雪に耐えてきたのであろうか。大栗の立つところからほぼ北の方向に月山の山頂が望まれた。近年、山形市から大井沢への時間距離は著しく短縮されたが、それにしては大井沢では時間がゆっくり流れている感じがする。 

新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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# by meiboku | 2013-10-22 15:56 | 大井沢の大栗  

堂形のシイノキ -石川県金沢市-

 金沢市は金沢城、兼六園をはじめとする史跡に富み、四季を問わず楽しめる街である。市内には見どころ一杯、いつでも観光客に満ち溢れている。観光業に関わっている人にとっては、全国から人が訪れてほしいと思うであろうが、一般市民にとっては自動車は渋滞し、旅行気分の客が市内をぶらぶらするのは迷惑だと思っているのではないかと考えることがある。観光都市宣言をしている都市の宿命かもしれないが、旅行者は市民に迷惑、不快な気分にさせないような心づかいをしたいといつも思っている。
 金沢城のすぐそば、兼六園(何本かの巨木が残されているが、別の機会に紹介したい)から広坂を下りると百万石通りに面して旧県庁(現石川県政記念しいのき迎賓館)がある。道路の反対側には市役所、金沢21世紀美術館もあり、金沢最大の繁華街・香林坊にも近いので、行政・商業機能からみても市の中心といってもいい。旧県庁にしいのき迎賓館と名付けられているように、建物の入り口前に 2 本の半球状をしたシイノキの巨木が並んで植えられている。両者は国指定の天然記念物、樹齢は不明であるが、入り口に向かって左側のほうが少し大きく、樹高 13 m、幹周り 7.5 m(右側は 7 m) に達する。何故、この場所に、シイノキが植えられたのであろうか。それは、加賀藩 3 代藩主前田利常(1593~1658)の時代の庭園に植えられた樹木であるといういう説と、加賀騒動の主役大槻伝蔵の屋敷からここに移植されたものという説があり、定説はない。旧県庁の跡地の大半は筆者が訪れた2012年 6 月時点で整備中であったが、いずれにしても、市内の中心にこのような巨木が残され、大切に保護されていることに敬意を表したいものである。金沢はやはり時々は訪れ、徒歩でゆっくり楽しみたい魅力に溢れた街である。
新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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# by meiboku | 2013-09-19 15:21 | 堂形のシイノキ  

千本イチョウ -千葉県市川市-

 最近の日本の夏は猛暑であることが普通になったかのように思われる。しかし、イチョウは強い樹木であるので、樹齢を経た巨木は案外多く残されているように思われる。また、イチョウの樹形には多くの形態があるのもおもしろい。市川市の中心、市役所付近に葛飾八幡宮がある。総武線「本八幡」駅の名称は、この葛飾八幡宮に由来する。「本八幡」駅から数分歩くと国道14号(千葉街道)に達し、市役所の手前からほぼ北に向かう長い参道がはじまる。このような参道が残されていることだけでも、神社の歴史を感じさせる。祭神は応神天皇、神功皇后、玉依比売命とされ、889~898 年に宇多天皇の勅命により、石清水八幡宮を勧請して建立、下総国を守護する総鎮守と伝えられる。
この八幡宮本殿裏に御神木のイチョウ(雄株)が立っている。主幹は落雷によって地上約 6 m のところで折れ、名称の通り、主幹を囲むように多数の支幹がのびている。なお、支幹をまとめるようにしめ縄が飾られているが、合体しているようは見えない。樹高23 m、幹周り 12 m、推定樹齢 1,200年の国指定の天然記念物 であるが、驚くような巨木ではない。特徴は由緒ある神社に生育していることに加えて、無数の支幹が束ねられたように伸びている形態のおもしろさが評価されているものと考えられる。
 また、国道14号に面する市役所のほぼ対面に、「八幡の藪知らず」(看板には不知八幡森)がある。奥行き、幅が約 18 m に過ぎないが、「足を踏み入れると、二度と出てこられない」という神隠し伝承がある。この森は、かつては松、杉、柏、栗、竹が繁茂していたが、現在は孟宗竹に勢力を奪われつつあると言われる。この「八幡の藪知らず」の誕生、神隠し伝承については多くの謎が残されているが、江戸時代の書籍にも出てくるとのことであり、不思議である。
新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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# by meiboku | 2013-08-17 14:15 | 千本イチョウ  

将軍杉 -新潟県阿賀町-

福島県南西部に発する阿賀川(大川)は、会津盆地北西部で猪苗代湖からの日橋川や尾瀬からの只見川を合流させ、新潟との県境山地を穿入蛇行しながら西流、新潟県に入って阿賀野川と呼称を変える。阿賀野川峡谷の下流に位置する津川盆地から越後平野への出口のほぼ中間、右岸に旧三川村岩谷がある。
 国道49号から坂道を少し登ると南側にやや傾斜する段丘面となり、そこにおよそ30戸からなる岩谷集落がある。集落の最奥部に平等寺が位置し、境内には越後最古の木造建築と伝えられる薬師堂があり、そのすぐ傍に「将軍杉」と呼ばれる巨木が堂々と立っている。幹周りから言えば、屋久島の「縄文杉」にわずかに及ばないが、傍らの看板には日本一の杉とある。主幹は地上 2 m くらいのところから 6 本の大きな幹に分かれ、それぞれが上に向かって元気にのびている。主幹に当たる中心の 1 本は、1961年の第 2 室戸台風によって折れてしまったとかで、そこには小さな祠が被せられている。樹高 38 m、幹周り 16 m、推定樹齢 1,400 年、国指定の天然記念物で、根元を傷めないで樹木を一周できるような歩道橋も整備されている。現在まで、杉は雪深い越後で、風雨に耐えながら生長を立派に続けており、改めて生命力の強さに感動を憶える。
 ところで、「将軍杉」の名称のもととなった将軍は、平安末期の武将・平維茂(たいらのこれもち)のことであるという。維茂は陸奥鎮守府将軍平繁盛の孫で、余五将軍と称した。平等寺の寺伝によれば、平等寺は987 年に維茂がこの地を流れる川底で黄金の薬師如来像を見つけ、その像を祀るために堂宇を建立したとされている。なお、維茂は、その晩年をこの地で過ごし、この杉付近に埋葬されたと伝えられ、会津藩士・保科正之が建てた「余五将軍平維茂墓碑」もあるが、碑文は風化して読めない。
 「将軍杉」の位置する阿賀野川峡谷は、トンネルの多い高速道・磐越道を通過するのではなく、自動車で清流と並走する国道を走れば交通量も少なく津川、西会津・野沢の古い街並みや四季折々の美しさも堪能できる。

     新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
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# by meiboku | 2013-07-18 17:25 | 将軍杉