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発地(ほっち)の桜 -群馬県沼田市-

 今冬は寒かったので桜の開花が例年よりは少し遅れ、新潟でもようやく4月16日に開花宣言が出されたところである。今回取り上げた「発地の桜」は今頃がちょうど満開であろうか。群馬県沼田市は北側を武尊山、西側を利根川を隔てて大峰山・子持山、南側を片品川を隔てて赤城山などに囲まれ、それらの山地から流れ出す河川によって造られた段丘の町である。沼田市の中心街地の広がる平坦面などは、下流側に位置する赤城火山の活動と密接に関わって造られたことは言うまでもない。山地、段丘など多様な地形からなる市内には、既に紹介した日本一の大クワと呼ばれる「薄根の大クワ」をはじめとして、巨木・名木が多数残っており、それぞれ大切に保護されている。

 武尊山西部の玉原(たんばら)から流れ出す発地川は右岸に天狗の霊峰として知られた迦葉山(かしょうざん、1322 m)を経て、ほぼ南流する。山地は迦葉山から沼田市街地へ向かって高度を低下させて高玉山(766 m)となり、最後はきれいな三角錐の山容をした戸神山となる。この迦葉山と戸神山の間の山地斜面の東端に、大きく枝を広げた「発地の桜」がある。発地という地名は、三浦系沼田氏の分家である発地氏に由来しており、付近には発地氏が築いた城の遺構もある。桜は枝の見事な広がりに加えて、周囲の水田から見上げるようなところに位置していることもあって一層存在感があるように思われる。樹種はエドヒガン、樹髙 12 m、幹周り 5.2 m、推定樹齢 400 年、枝張りは東西 18 m、南北 22 m 、根元付近には柵も作られているが、斜面が急であるため、ただただ見上げ感動するだけである。この桜は県の天然記念物指定を受け、、苗代づくりのころにちょうど開花することから、地元の人々から「発地の苗代桜」と呼ばれ、親しまれているという。

 東京から関越自動車道を走り、沼田インタ-を過ぎるとすぐ右手に小さいながらも三角錐状の戸神山が見えてくる。「発地の桜」が咲く頃は、ミニ尾瀬として評判となった玉原は見るべきものはないが、戸神山へのプチ登山や迦葉山弥勒寺の参詣を兼ねて訪ねてみたらどうであろうか。ところで、戸神山と呼ばれる山は、たとえば福島県浪江町、仙台市秋保、山形市東部および西部(富神山)に存在しており、それらはいずれも小さいが、尖った山容をしているので形態に由来するのかも知れないが、アイヌ語でぽこんと盛り上がった小さな山を「トコム」と呼ぶようであるから、それらとの因縁も考えなくてはならない。 

新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫

# by meiboku | 2012-04-17 15:48 | 発地(ほっち)の桜 

千光寺の五本杉 -高山市丹生川町-

 岐阜県高山市は中部日本を代表する観光地として名高い。高山盆地の主邑である高山市は平成の大合併により2011年現在人口 9.4 万を数えるが、宮川沿いに位置する中心街を除くと、市域の大半は長野県境の飛騨山脈と石川・福井県境の白山火山とに挟まれた山間地からなる。中心市街地の北東部は飛騨山脈の乗鞍火山西斜面から流れる小八賀川の流域に当たり、訪れる人も少なく静寂である。千光寺は高野山真言宗の寺院で、山地の南向き斜面を削って造営されている。寺院は、伝承によれば、377(仁徳天皇65)年に開山された歴史があるが、兵火などにより何回か焼失しており、最終的には1588(天正16)年に高山城主金森長近によって再建されたとのことである。千光寺は飛騨三十三観音霊場であり、森には八十八カ所霊場巡りのコ-スが造られている。また、1685(貞享2)年ころ、円空がこの寺に滞在して仏像63 体を彫ったと伝えられるところから、円空仏の寺としてもよく知られている。

 モミ、トウヒ、ブナなどの巨木が生育する山地斜面を削る、薄暗い小さな谷の底、その一番所の前に、五本杉は周囲の樹木を圧倒するように真っ直ぐに生育している。名称は幹が根元近くで5 本に分かれていることから付けられたらしいが、樹髙47 m、幹周り 12 m 、推定樹齢1,200 年、その姿、樹髙・形の立派さから、国指定天然記念物の指定を受けている。谷底に位置する五本杉は、1959 年の伊勢湾台風でかなり被害を受けたが、今ではその傷跡も癒え、5 本ともそれぞれ競うように生長を続けているように見える。

 高山盆地は旧市街の町並み・史跡だけでなく、周辺地域も自然と歴史、生活が一体となった魅力ある景観に富んでいる。時々は訪れたいと思うところである。

新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫

# by meiboku | 2012-02-25 09:48 | 千光寺の五本杉 

連取り(つなとり)の松 -群馬県伊勢崎市-

 2011年の日本列島は、巨大地震、集中豪雨などによって甚大な被害を受けた。それらの一日も早い復旧・復興と2012年が平穏であることを望みたい。

 伊勢崎市は群馬県南部、利根川北岸の低地に広がり、人口約 21.1 万を数える(2011 年)。室町時代には赤石といったが、伊勢宮の勧請にちなんで、伊勢前(いせさき)、伊勢先と呼ばれるようになったなどの説がある。中心市街地は伊勢崎台地、西部の連取町などは広瀬川や利根川などの扇状地に展開する。

 「連取の松」は連取町西部の菅原神社の境内にある。広い駐車場に自動車を停めると、眼前に奇妙な形をした松が飛び込んでくる。この人を圧倒するような松は菅笠のような形をしているので、地元の人々から親しみを込めて「笠松」、あるいは菅原神社の境内にあることから「天神松」とも呼ばれている。伊勢崎市教育委員会のパンフレットによれば、この松は、江戸時代の享保2(1717)年に、連取村を支配していた旗本・駒井氏の家臣に代わって村を治めた飯島一覚が、隣村の韮塚村の諏訪の原に植わっていたものを、天満宮の社前に植え替えたものであるという。このように来歴がはっきりした樹木は珍しいとさえ言われている。したがって、植え替えてから92 年を経過した文化 5(1808)年には、既に巨木となっているようで、名所として知られていたらしい。樹種はクロマツ、樹髙は 5 m、幹周り 4 m、枝張りは東西 35 m、南北26 mもあり、推定樹齢 300 年、県指定の天然記念物である。

 この松の変わった形態は、自然になったものではないという。すなわち、松の生えている菅原神社は、連取村上組の鎮守であることから、秋に上組の氏子が毎戸一人を出して、きちんと手入れをした結果である。松は鳥居と拝殿の間に植えられているので、参詣者は長く伸びた大きな枝の下を腰をかがめながら注意深く歩かなければならない。このように鳥居をくぐってから腰をかがめ、頭を低くして通過しなければならないので、自然に畏敬の念が生まれると言われる。この松の隣には、明治43(1910)に植えられた「シンマツ」もあり、これもかなりの巨木となっている。

新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫

# by meiboku | 2012-01-24 09:55 | 連取り(つなとり)の松) 

九品仏のイチョウとカヤ -東京都世田谷区奥沢-

 高校2年の春、長野県から東京都の高校へ転入したので、東急目黒線(当時は目蒲線と呼称)や大井町線は通学路線となった。大井町線に初めて乗車したとき、九品仏駅の北側にこんもりとした森があり、駅名から判断して、由緒ある寺が存在するであろうと考えた。このように、九品仏駅という変わった名称の駅の存在は知ってはいたが、自宅と高校の往復だけで、途中下車をすることは全くなかった。大井町線に初めて乗車してから約50年後、2008年3月、由緒ある寺(浄真寺)の境内に存在する巨木を観るために、九品仏駅に初めて下車した。

 駅前から少し歩くとほぼ北へ向かう参道となり、参道の終わる西側が浄真寺の境内となる。浄真寺は、1678(延宝6)年に芝増上寺の別院として、珂碩(かせき)上人(楼門に向かって右側に開山堂がある)が開山した。本堂が建立された際、その背後に3 棟の小さな三仏堂が建てられ、そこに珂碩上人と弟子の珂憶上人が協力して彫った阿弥陀如来像が、それぞれ3 体ずつ安置されたことから、九品仏と呼ばれるようになったと伝えられる。なお、浄真寺で3 年に 1 度、8月16 日に執り行われるお面かぶり(二十五菩薩来迎会)は、東京都の無形文化財に指定されている。

 楼門を入り、参道をはさんで2 本のイチョウが並んでおり、本堂よりのものが都の天然記念物、樹髙20 m、幹周り4.2 m である。主幹は枯れているようにみえるが、秋には小枝にギンナンをたくさんつけるという。さらに、三仏堂の前には、都内では最大と言われるカヤがあり、これも都の天然記念物の指定を受けている(写真)。樹髙31.3 m 、幹周り5.3 m、枝張り東西 12 m、南北18 m 、根元から約 2 m のところで 2 幹に分かれている。この他、境内には指定を受けていないが、多くの巨木、古木が見られる。九品仏駅周辺は静かな環境に恵まれた住宅地であるが、その静寂さを現出しているのは浄真寺の存在である。

新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫

# by meiboku | 2011-12-21 11:06 | 九品仏のイチョウとカヤ 

本郷弓町のクス -東京都文京区本郷-

東京都23区にも案外巨木・名木が残されている。筆者も、学生時代にすぐ傍を通行していたにもかかわらず、その存在すら知らなかったものもある。

 営団丸ノ内線本郷三丁目駅を出てすぐ西の一角に、「弓町の大クス」とか「楠亭の大クス」と呼ばれている堂々たるクスがある。現在、根元近くまで舗装され、西側に高いマンションが建っているが、衰えは全く見られず成長を続けている。ビルに囲まれ日射を制限されているにもかかわらず、生育を続ける生命力に感嘆を憶えるほどである。マンションの建っているところは、楠木正成の血を引くと伝えられる旗本甲斐庄喜右衛門の屋敷跡で、以前はそれに由来する楠亭というフランス料理店があった。現在、その楠亭は、西側のマンション一階に入っている。弓町の名称は、江戸時代に御弓組同心の屋敷があったことに由来し、明治5年には本郷弓町となったが、現在は弓町の名前は消えてしまったとのことである。明治時代に書かれた「東京名所図絵」にも、弓町には老楠樹があると紹介され、その頃から存在はよく知られていたことがわかる。

 司馬遼太郎も1991年にこの地を訪れ、『街道を行く』の中で、このクスノキについて一樹で森を思わせるほどの大木であると書いている。クスノキの樹髙は約20 m、幹周り8.4 m、推定樹齢600 年とされているが、国、東京都などの天然記念物の指定は受けていない。根元は少し高くなって、周辺に立ち入らないように柵が施されているが、大都会の真ん中で生育を続ける大木に改めて驚き、その存在感に敬意を表したいと思う。
新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫


# by meiboku | 2011-11-11 17:09 | 本郷弓町のクス 

村雨の松 -新潟県佐渡市-

 新潟市から佐渡島は約30 kmしか離れていない。佐渡島は、新潟海岸から余程の天候でない限り望むことができるが、佐渡の動植物が越後のそれと大きく異なっているのはなぜであろうか。それは佐渡と新潟市を隔てる佐渡海峡は深さが水深200mを超えていることから考えて、更新世(約260 万~1万年前)における氷河性海面変化の影響を受けることなく、新第三紀末期には佐渡と越後とはすでに分離しており、動植物はそれぞれ固有の進化を遂げたことによると考えられる。

 新潟港からカ-フェリ-で約2時間半、ジェットフォイルを利用すれば約1時間で佐渡・両津に着く。両津港タ-ミナルを出て北方を見ると、加茂湖の湖口北側に建物に挟まれて高い木が見える。これが村雨の松であり、タ-ミナルから歩いても約5分である。村雨の松は、両津湾を閉塞し、加茂湖を誕生させた砂州に生育したことになる。かって筆者らは加茂湖周辺で掘削調査を行い、年代試料、花粉・珪藻分析をもとに湖の誕生・消滅を調べたことがある。それによると砂州の発達によって両津湾を閉塞することは繰り返されたが、大佐渡および小佐渡から成長した砂州によって今日のような加茂湖が誕生したのはおよそ1,800年前頃ということが明らかとなった。両津の名称は、この砂州に発達した夷町と湊町という2つの津(港)が、明治34年に合併したことに由来する。

 村雨の松の樹種はクロマツで、樹髙16 m、幹周り 6 m、推定樹齢300 年、驚くような巨木ではないが、県指定の天然記念物である。この木の名称は、ここに江戸時代に番所があったので、「御番所の松」とも呼ばれていたが、明治の文豪・尾崎紅葉が当時の海岸線近くにあって波しぶきに濡れるもを見て、「村雨に濡れる風情あり」といったことによると伝えられる。ところが、1990年の台風19号によって、根元からやや上で2 本に分かれていた支幹が被害を受けて衰弱したために、片方の支幹を切ってしまったとのことである。現在は、その後の手厚い手当で順調に勢いを回復している。当地は両津埠頭に近いので、佐渡汽船乗船の時間調整に訪れてみたらいかがであろうか。

新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫

# by meiboku | 2011-06-30 10:00 | 村雨の松 

東根の大ケヤキ -山形県東根市-

 山形県は庄内の北部と新潟県寄りの地域を除く大半が、最上川流域のみからなる珍しい県であり、県の盛衰は最上川を抜いて語ることはできない。

 東根市は山形県の中東部に位置し、人口約4.6 万を数える。サクランボ・洋ナシ(ラ・フランス)やリンゴなどの果樹生産、特にサクランボの主要品種「佐藤錦」が開発されたところとして知られる。山形市から新庄市へと向かう国道17号沿いにもそれらの果樹園が展開しており、それらは奥羽山脈から流れ出す大小の河川が造りあげた扇状地に位置し、古くからの町並みはより山側(扇頂)に位置している。国道17 号から扇頂へ向かって、三日町、八日町と歴史を感じさせる中心街を通り、一段高くなったところに東根小学校がある。その東根小学校の構内、正門近くに堂々たる大ケヤキが立っている。実はこのケヤキのそばにかつてはもう一本大ケヤキが並んでおり、前者は雌槻、後者は雄槻と呼ばれていたが、雄槻は残念なことに1885(明治18)年に枯れてしまったとされる。1991年の環境庁の調査報告では、生き残ったケヤキは第 3 位の巨木とされているが、第 1位と第2 位のケヤキの傷みが激しく、主幹などが伐採されているので、現在ではこの大ケヤキが日本一といえる。樹髙 24 m、幹周り 12.6 m、推定樹齢 1,500 年以上、その巨大さ・樹勢からみても国指定天然記念物であることは十分納得できる。主幹は地上から約 5 m のところでふたまたに分かれているが、それぞれ上に向かって枝を大きく広げている。二つの枝の境目には大きな空洞があり、それをくぐり抜けると子宝に恵まれるとされるが、現在は柵によって立ち入ることはできない。

 ところで、ケヤキが立っている小学校の校内は、南北朝時代の小田島長義が築いた本丸跡である。したがって、樹齢から考えると、東根城築城当時すでにかなりの大木であったことになる。小学校、そしてケヤキもすばらしい環境に立っており、東根の人々から大切に保護されている。小学校に達するには、整然とした敷石の坂道を登り、周辺にはケヤキ案内所・トイレ、大きな池も造られ、公園整備が進んでいる。中心街には、歴史を感じさせる広大な旧宅が所々に残されているので、ゆっくり散策するのも楽しい。

新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫

# by meiboku | 2011-05-31 09:47 | 東根の大ケヤキ 

七五三掛桜(しめかけさくら) -山形県鶴岡市-

 朝日山地からの大鳥川と朝日山地・月山からの梵字川は旧朝日村落合で合流して赤川となり、庄内平野に流入する。鶴岡市中心街から自動車で約30分で落合、そこからは梵字川沿いの山地斜面に造られた国道112号を約10分、大網橋から急な斜面を数分走ると大網に達する。

七五三掛桜は、山地斜面の最上部に位置する大網字七五三掛の注連寺の境内に立っている。本堂のすぐ横にやや南東方向に傾くように立つ七五三掛桜の樹種は、カスミザクラである。推定樹齢200年とのことであるので、樹髙12.5 m、幹周り3.2 m と必ずしも巨木ではないが、鶴岡市指定の天然記念物となっている。寺の名称注連は、「注連縄」(しめなわ)のことであり、御神木の七五三掛桜に注連縄を掛けていたことに由来する。注連寺は真言宗智山派の寺院であり、鉄門海上人の即身仏(ミイラ仏)が残されていることでも知られる。注連寺は、出羽三山が女人禁制であった時代に、「女人のための湯殿山参詣所」として信仰を集め、この寺が女性が到達できる境界(結界)であり、そこに注連縄を張ったことに由来する。注連縄の締め方は、中途に7本・5本・3本の縄を通してぶらさげる七五三掛であり、地名、寺の名称もこれによっている。しかし、明治時代になって神仏分離が行われ、出羽三山がすべて神社となり、注連寺も湯殿山参詣所としての役割を失い、周辺に存在した宿坊もなくなってしまった。小説「月山」で1974年第70回芥川賞を受賞した森 敦は、この寺に約半年滞在して同作品を書いたと言われており、それを記念して境内には小さな森 敦文庫が建てられている。なお、2009年春、この注連寺のすぐ下の斜面で地すべりが発生、散在していた家屋の大半は移転、田畑は耕作不能となった。筆者が訪れた2010年10月24日も防止工事が行われていた。鶴岡~山形の国道、これと並走する山形自動車道は出羽三山と朝日山地の境界を走っており、新緑や紅葉の時期にはすばらしいドライブコ-スとなる。梵字川最上流に位置する田麦俣は重層家屋で知られていたが、現在、わずか2戸残されているにすぎない。
新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫
 

# by meiboku | 2011-04-26 15:33 | 七五三掛桜 

東昌寺のマルミガヤ -宮城県仙台市-

 仙台市中心街は北側、西側を台地や丘陵に囲まれ、南東方向に開いた地形から成り立っている。市街地の北側には台ノ原段丘とよばれる、広瀬川が約10万年前ころに造りあげた河成段丘面が残されている。台ノ原の北側にはJR仙山線がほぼ東西方向に走り、北仙台駅から至近距離である。台ノ原の名称からも推定されるように、段丘崖に相当する急斜面を登るとその上は平坦な地形となっており、西側の北山1丁目から青葉町にかけては輪王寺、資福寺、覚範寺、青葉神社、東昌寺、光明寺などの格式の高い社寺が並んでいる。段丘崖の下がおよそ標高50m、段丘面の上が標高70 m であるので、標高差(比髙)約 20 m に造られた長い石段を登ると、いずれの社寺も南向きに立っている。東昌寺の住所は青葉区青葉町8-1であり、庫裏の北側にマルミガヤ(雌株)が見られる。

 マルミガヤは樹髙 17.5 m、幹周り5.3 m、推定樹齢 500 年、国指定の天然記念物である。東昌寺は仙台城の鬼門の方角に位置しているので、伊達政宗が鬼門除けとして植えたと伝えられる。なお、種子は藩主の食用にも供されていたので、「御前ガヤ」とも呼ばれていたとのことである。現在では、根元で 2 本に枝分かれしているが、私が訪れた10月中旬には多数の実をつけており、樹勢にいささかの衰えも感じられなかった。東昌寺の広い境内には、アカマツ、コウヨウザンなどの巨木も見られるが、きちんとした本殿、庫裏、掃き清められた庭を通り、石段を下りるころには何となく清々しい気持ちになった。

 かつての仙台市は、この北山地区から南側を中心市街地としていたが、周辺市町村との合併により急速に市域を拡大させた。現在では、この北山地区の北側の七北田丘陵が開発されて住宅地となったので、この地区はむしろ仙台市の中心に位置することになった。段丘崖はまだ緑豊かであり、眼下に中心市街地を見下ろすことができる仙台市の特等席である。ところで、3月11日午後2時46分に、東北地方太平洋沖地震(巨大地震、M 9.0)が発生し、現時点で死者・行方不明者が2 万数千人に達する大惨事となった。宮城県沖で30年以内に大地震が発生する確率は99%と言われていたが、M 9.0 は想定はされていなかった。このマルミガヤも初めての体験であったろうか、聞いてみたいものである。

新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫

# by meiboku | 2011-03-29 09:50 | 東昌寺のマルミガヤ 

府馬の大クス -千葉県香取市-

 千葉県は京都府、大阪府、沖縄県とともに標高1,000 m を超える山地がないだけでなく、標高 500 m を超える山地もない唯一の県である(最高峰、愛宕山 408 m)。房総半島の南端には標高の低い山地や丘陵があるが、北部はほとんどが下総台地と呼ばれる約 12.5 万年前に造られた海成面からなる平坦な台地である。

 府馬の大クスは、標高40 m の下総台地の一端にあり、古くから「府馬の大楠」あるいは「山ノ堆の大楠」と呼ばれ、当地域随一の巨木として親しまれてきた。この木はクスノキとして国指定の天然記念物とされているが、1969年の本田正次博士(文化財審議専門委員)の調査で、クスノキではなく、実はタブノキであることが明らかにされた。この地方では、タブノキのことをイヌグスと呼び、クスノキを本グスとか、樟脳グスと呼んでいるため、種名を間違えてクスノキとして告示されたものと考えられいる。このタブノキは宇賀神社の入口の右側に大きく枝を広げ、数本の巨木とともに境内全域に大きな陰をつくりだしている。根は地面から盛り上がっており、生長に伴い根元にある石の祠に食い込んでいる。祠には正徳元(1711)年の銘があることから、約300年をかけて祠をを抱え込んだことになる。樹髙16 m、推定樹齢1,300~1,500 年、根周り約27.5 m、幹周り約 15 m、枝張りは南西に 15 m、北方に 13 m に及んでいる。なお、北側約 7 m 離れたところに「小グス」と呼ばれるタブノキがあるが、これは元来、大グスの枝が地上に垂れて根を張り、生長したものである。そのようすは、江戸時代後期に出された『下総名勝図絵』に描かれているが、つながっていた枝は明治末期に枯れてしまったとのことである。

 宇賀神社の位置する付近は、弥生~奈良時代にかけての住居跡が見つかり、さらに山ノ下城跡の一部とされ、すぐ南西には府馬城跡がある。鎌倉時代末期に千葉一族の府馬(賦馬)氏が城を築き、16世紀半ばに近隣の豪族との戦いに敗れるまで続いたという。大クスは、2003年度からの樹勢回復工事と周辺の環境整備事業が行われ、地元住民によって大切に守られている。

新潟大学名誉教授 鈴 木 郁 夫

# by meiboku | 2011-02-18 10:29 | 府馬の大クス 

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